おくりびとを深読みする①「このタコまだ生きてる!」

食文化について
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今更ながら「おくりびと」はいい映画ですね。
難しいテーマなのに、マジメさと可笑しさのバランスが取れていて。マジで嫉妬します。

この映画では、肉や命に関する多くの問題提起がなされています。
もちろんエンタメですから、絶妙なさじ加減にて。

 

一部をピックアップしてみましょう。
(ややネタバレも含まれます。映画を観てない方は気をつけてね!)

 

【この記事のあらまし】

・生きたタコを捌くのが嫌なのはみんな同じ。
・タコは捌けない。魚はできる?ニワトリはできる?どこまでOK?
・踊り食いだったら、生きたタコでも食べれちゃう不思議。

 

 

まずはこのセリフです。

「キャー!このタコまだ生きてる!」

 

物語序盤でのセリフです。広末涼子さん演じる主人公の奥さんによる、いわば一般人の感覚を代弁したシーンです。

彼女は隣人から譲ってもらったタコをキッチンに運び、いざ料理するぞという時、タコがまだ生きているのを発見します。食べる気満々だった彼女も、想定外の事態にこの一言。その後タコを食べるのをやめて、夫と共に海へ放流しに向かいます。

「もう捕まるなよ」との言葉を添え、タコを海に放したら、既にタコは死んでいました。すでに命ではなく肉になっていました。

こんなシーンです。

 

 

きっと調理済みのタコなら普通に食べたのでしょうね。でも殺すのは嫌だった。

もちろん素人ですから、技術的にできなかったのは仕方ないけれど、精神的に受け入れられなかった。さらに海に逃がすことが良いことだとさえ思っていた。

きっと夫妻は今まで食べてきたタコと生物のタコは別物だと思っていました。というか、ちゃんと考えたことがなかったようです。

 

 

このシーンの意図は明瞭なので、観た人の大半が自分なりの咀嚼ができた思います。
が、映画を見た後で自分も似たようなことをしていると、一体どれだけの人が自覚できたのでしょうか?(ちなみに、私は何も気づきませんでした。数年かけてジワジワ効いてきましたけれど。)

 

食べられるけど絞められない。他人が絞めて料理してくれれば、食べるのは大好き。これがほとんどの人の本音です。

 

 

みなさんはどのラインまで生物を捌けますか?どれも人間が食べてきた実績のある生物です。

①この野菜まだ生きてる!
②このきのこまだ生きてる!
③この魚まだ生きてる!
④この鶏まだ生きてる!
⑤この豚まだ生きてる!
⑥この牛まだ生きてる!
⑦この犬まだ生きてる!
⑧この人まだ生きてる!

 

私は④までは大丈夫です。⑤以降は経験がありません。しかし機会があればトライするのが責任だと思っています。今まで山ほど食べてきましたから・・・。

こんな質問は悪趣味だとお感じになりますか?

 

しかし極めて大切なことです。命の話ですから。

 

⑥まではみんな当たり前に食べてますよね。
⑦は隣国の文化です。というか問題は種別ではないはず。

そして⑧を扱うのが、まさにおくりびとです。(食べないけど)
さらに私たちは全員⑧の当事者です。おくるにせよ、おくられるにせよ。

その辺りをなぁなぁにして私たちは生きています。一方でそれを踏み越える道を与えられたのが、本木雅弘さん演じるおくりびとでしたね。

 

皮肉なことに⑧に限っては死んだあとのほうが扱いづらくなります。死者を汚いものと見なす文化があって、死者に触れる人を差別することすらありました。

それでも命は命であることに変わりません。食べ物であってもなくても、美しくくとも醜くとも。

 

 

話は変わりますが、日本にはタコの踊り食いという食文化があります。

あれれ?そういえば生きたまま(厳密には違うかも)タコを食べてる。しかも名物として認知され、話題のスポットにすらなっている。

 

これは果たして残酷なのでしょうか?

NewSphere 活き造りや踊り食いは残酷か 日本の丼で海外で議論白熱 結論は生き物を……?2017/10/5

リンクの記事にもある通り、答えはわかりません。やはり見た目や思い込みが10割です。命も肉もクソもない。

でもそれでいいんです。

なぜなら命には実体が無く、移り変わっていくものだから。

 

だからせめて見て見ぬふりは終わりにしたいです。私もあなたも肉なのだから。命なのだから。

 

 

 

押さないなんて残酷

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