「一人で死ねばいい」って何?みんな孤独が存在すると勘違いしてる

時事ネタ
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「人がたくさん犠牲になり、かつ犯人は自殺」という事件が後を絶ちません。

2019/6/4 IRONNA  川崎20人殺傷「一人で死ねば」の前に迫られる社会の決意(リンク切れ)

 

そして事件の度に「犯人は一人で死ねばいいのに」という声があふれます。

 

そう言いたくなる気持ちは理解できるんですけど・・・そんなの不可能です。

生物や社会のシステム上、根本的に誰も一人にはなれないからです。

 

ここを理解すれば、被害者も加害者も(ほんの少しは)救われるはずです。

 

 

真犯人はだれ?責任主体はだれ?

悲しい事件が起きたとしても、、

犯行の要因は「犯人だけの性質」ではなく、「社会が共有している性質の一つ」です。

 

よって犯人を密かに葬るだけでは、何の解決にもなりません。

単なる先送りです。

 

誰も自力で誕生してきたわけではないように、一人で生きることも、一人で死ぬことも絶対に不可能です。

私たちは他の存在と関わり合うことで、初めて実在できます。

 

 

孤独は錯覚。実在しない

よく言う「子どもは社会の写し鑑」とか、「子どもは社会の共有財産」というのは大人も同じです。

身体がデカくなっただけで、中身は子供と大差ありません(笑)

 

子どもが罪を犯したとして、反省する機会を与えずに「死ね」だなんて言わないでしょう?

もしその子が生きてきた環境が悪いものであれば、良い環境へ移して更生の機会を設けるはずです。

その子を責めても解決しません。そうさせた社会側に問題があると考えます。

 

 

ところが大人が罪を犯すと、途端にその人だけが悪いと見なされてします。

よく考えてみれば不思議な話です。

人は自分の力で育ったのではなく、環境や生まれ持った気質によって形作られる存在だというのに。

 

大量殺人を犯した側も、「一人で死ねばいい」と非難した側も、どちらもその繋がりが見えなくなっている様子です。

社会に蔓延している「孤独」という病が、根本的な課題です。

 

 

でも孤独は錯覚です。実在しません。

あらゆる認識が落差から生じるように、すべての人は相対的にしか存在できません。比べる何か、係る何かが必ずあります。

 

一人でスマホをいじってる時ですら、閲覧履歴や周囲の音声が監視されてる時代です。

常に呼吸している酸素は、植物やら光合成微生物の排泄物です。

世界を照らす太陽光は核融合の産物です。

食事は他の生物の死骸です。

肉体はDNAに設計された乗り物で、素材は全部借り物です。いつか自然に還す他ありません。

話したり考えたりするための言葉や知識は、全部先人の発明です。

寝ることすら自力ではできません。眠れない夜があるし、寝てしまう会議を経験します。

 

何一つ自分で生み出したもの、コントロールできるものはありません。

これを本当に実感できれば、もはや孤独を感じることは不可能です。

 

 

よって一人で生きることも、一人で死ぬことも不可能です。

私たちは心臓すら自力で動かせないように、誰かの心が連続殺傷を決意することをコントロールできません。

それらは個人が制御できるものではなく、多くの存在による合作です。

多くの原因による結果です。

個人の責任にしてるうちは、本質を見誤り続けます。

 

 

実は誰もが「無敵の人」

筆者はこの事件をきっかけに、筆者は「無敵の人」というネットスラングを知りました。

 

社会的、経済的にどん底にいる人で、何も失うものがない状態を指すらしいです。

何も持っていないから、失うものもない。だから無敵だと。

犯人がそれだったから、抑止力が効かず厄介なのだと。

 

・・?

みんなそうじゃないの?

本当は自分のものなんて何一つないんだから。

 

ダメな金持ちが資産を失うことを恐れて不安でいるように、自信がない人が更に弱いものを見つけて安心するための言葉じゃないの?「無敵の人」ってのは。

「一人で死ねばいい」も似たようなものです。

 

ぶっちゃけ筆者もプライベートが残念な状況なんですけど、孤独感は全くありません。

逆に孤独に無神経過ぎることを、周囲から哀れに思われたりしてます。

おかげで法務省が2013年に公表したらしい「無差別殺傷事犯に関する研究」の犯人像に結構当てはまっている始末です。

 

そして実際に、動物を無差別殺傷して食べる時がある(ほぼヴィーガンだけど)のですが、これはむしろ非難されます。

「もっと肉を喰え、肉を!」

この世界は不思議な場所ですね。

 

 

私たちは誰も孤独ではない

 

被害者の方とご遺族には、心よりのお見舞いを申し上げます。

「他人の気持ちがわかる」だなんて口が裂けても言えないけれど、「私たちは誰も孤独ではない」とだけは断言できます。

そしてそれは、先人たちが口を揃えて伝えてきた話です。

 

孤独アレコレの勘違いを指摘し続けていくことが、この手の悲しみを減らすことに寄与すると信じています。

 

 

 

一人で押せばいい

宇宙飛行士:Free-PhotosによるPixabayからの画像

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