あのグッチが毛皮の使用をやめるそうです。
Yahoo!ニュース 「グッチ」がリアルファーの使用を廃止 2017/10/12 (リンク切れ)
同じことをした他の企業より注目されるのは、さすがのブランド力。
それにしても、受け止め方を戸惑った方も多いと思います。今後は毛皮を着てはいけないのか?そもそも何が目的で、これからどんなファッションをすればいいのか?
少し掘り下げます。
【あらまし】
・毛皮の生産方法が知れ渡り変化が生まれたのは素晴らしい。
・しかし、人は何かを殺さないと生きられない。頭でっかちな潔癖はダメ。
・毛皮の利用自体は悪くない。現実を直視しないまま使うのは悪い。
グッチさんの声明を超訳すると、
「毛皮はダサいと思う人が増えたから、利益のために方向転換します。業界全体にもその風潮が増していくと思います。」
動物愛護団体はガッツポーズ。
良いか悪いかについて私は中立ですが、現実が直視されるようになったのは素晴らしい成果だと思います。
最近までは、きれいな毛皮をはぎ取ったら、キモイ死骸は知ーらない!
っていうか、考えたことすらない!でしたから。
そしてキモイ死骸も、肉を切り離してパック詰めすると・・・あら不思議!なんて美味しそうなお肉!ってのがブラックジョークではない状態でした。
しかし、たとえその認識であったとしても・・・
生産過程を直視して利用するならば、毛皮も肉も全て自然の恵みです。
直視できるなら。
イヌイットにしてみればアザラシの革を着るのは当たり前で、なに一つも悪いことではありません。
そういえばレディ・ガ〇は肉を毛皮のように着こなしましたね。やはりタダ者ではありません。
さて、動物への余計な苦痛を減らそうとする配慮は素晴らしくも、そこには限界もあります。
人間は生きる以上、殺生を完全に避けることは不可能だからです。
不可能だからこそ、殺していることを認める必要があります。
私は以前ヴィーガンと呼ばれる動物性食品を一切食べない生活をしていました。
卵も牛乳もハチミツもかつお節を使っただしもダメ。
食事のたびに、この食材はなんの命からできているのか?といつもチェックしていました。このカレールーはなたね油だからOKだね、とかいって、なけなしの知識で精一杯ジャッジしていました。
今思うと恥ずかしいほどに恣意的です。
菜食主義やヴィーガンをやることはいわば、命に境界線をひくことです。
食べたり殺したりしていい命と、そうでない命を選別することです。
毛皮を着ないのも似たようなものです。生産が残酷ではない(とされる)ウールやシルクはOKなんですから。そしてその判断がむずかしい。なぜなら・・・
植物だけ食べても生きられるけど、彼らは動物の死骸が分解された土壌から育っている。
蚊に刺されても殺さず逃がすことができるけど、アシナガバチは逃げるか殺さなければ危険だ。
捨て猫を保護して飼うことはできるけど、その猫を育てるとネズミやスズメを捕食してしまう。
野生の鹿にせんべいをあげて可愛がるけど、増えすぎた場合は駆除も必要になる。どうせ殺すなら無駄にせずに鹿肉にして食べるべきか?
草むらを歩けばどうしても虫を踏みつぶしてしまう。
美味しい野菜を経済的につくるには、農薬で虫を殺さないと。
今住んでいる家だって、もとは野生動物の縄張りを侵略して奪った場所だ。殺戮の上に成り立った場所だ。
動物園のクマは可愛いけど、街に降りて人を襲うようになったクマは危険だから駆除して欲しい。
生きる以上一定の殺生は避けられません。
愛おしい動物たちは同じ資源を争う競争相手でもあるからです。どう生きたって何かを殺さざるおえません。
そういうものなんだから、許容ラインを作るしかありません。
だから汚いものとして殺生から目を背けては解決になりません。
隠さずに見つめなければ、妥当な基準が作れません。
無駄な殺生を最小化する努力と同じぐらい、そもそも命はとはなんなのかを問い直すのも大切です。
しかしそれは幻のようなもので、誰にもその正体がわかりません。
偉大な科学者や宗教家達も言っています。
「よくわからない」
「誰にも知りえない」
「っていうか見たまんまだよ?」
答えがわからないとしても、現実をただ見ることには意味があります。
知らず知らずに持っていた思い込みが消えるかもしれませんから。
今件を経て、毛皮の流通が減る代わりに別種の思い込みが生み出されませんように。
例えば、
「毛皮はダサいのはファッションリーダー達がそう言っているからだ。
何故かはよく知らないけど、なんとなくカッコ悪い」みたいな。
それじゃ解決にならないからな!
毛皮それ自体は決して悪いことじゃありません。
ああ・・・もしそうなったら、影響力のある誰かに
「毛皮を無自覚に避けるのはダサい」
って言いふらしてもらえばいいのか。
あのグッチも押したそうですよ?
スポンサーリンク
コメント