ラグビーW杯が熱いです。
連日の報道の中で、ノーサイド精神というラグビー文化に脚光が当たっています。
2019/10/15 THE ANSWER 日本、敗者に作った“ノーサイドの花道”に広がる感動「泣ける」「双方紳士だなあ」
「試合が終わればノーサイド」って考え、カッコいいですよね。
試合の終了後は、敵味方の区分けは消えるので、両者を平等に称え合おう!
ってやつです。
ちなみに、仏教の開祖であるブッダも、大体こんな意味のことを言ったそうです。
「あらゆるものはノーサイド」
どういうことか?ラグビーを例に説明していきます。
skeezeによるPixabayからの画像
目次
ノーサイド精神=諸法無我
ノーサイド精神を仏教っぽく言うと、諸法無我(しょほうむが)がよく似ています。
要するに、
ってことです。
言葉にすると当たり前だけれど、実践するのは難しい。
実際にラグビー以外のスポーツでは、なかなかノーサイド精神を実現できません。サッカーのA代表の試合に至っては、「国家の威信をかけた代理戦争」と例えられる始末です。長期に渡る遺恨が残ることもしばしばです。
・・・( Д ) アホくさ。
とでも言えば非国民扱いです。
そんな状況に、ブッダならこう言うかもしれません。
「あらゆるものはノーサイドだよ。そもそも国民と非国民ってなに?」
世界はもともとノーサイド
ノーサイド精神を深く理解するために重要なのは、「世界は最初から最後までノーサイド」
だと思い出すことです。
ラグビーは試合が終わればノーサイド?
違います。少しズレています。
終わったらノーサイドなんじゃなくて、
試合をするために、わざわざサイドを作ったんです。
子どもの運動会だって白組と紅組を分けるけど、終わったら一緒に打ち上げするでしょ?
「運動会が終わったらノーサイド」なんて誰がいいますか?
「ドロケイが終わったらノーサイド」とか聞いたことがありますか?
Damon NofarによるPixabayからの画像
とどのつまり、ノーサイド精神に感動する理由は、
サイド(国の区別)を実体だと勘違いしてるからです。
ここでブッダの言葉を思い出しましょう。
国家だと理解しやすいですね。実体性などなにもないから。
国境線は幾度となく変わってきたし、構成してる人も法も絶えず入れ替わっている。
国家の実体性ってNANDA?
面白いのは、その事実を知らない人は少ないにも関わらず、ノーサイド精神に感動する人が沢山いることです。知っていることと理解していることの違い、をよく示す例ですね。
ラグビーのA代表は国籍の意味が薄い
ノーサイド文化が高潔なラグビー界に対して、サッカー界は差別問題でドロドロです。
→ 2018/7/24 エジル、代表辞めるってよ。ハンバーガー、国籍変えるってよ
→ 2019/7/15 チャントに学ぶ「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」の真相
ラグビーとサッカーは共にイングランドの発祥であり、親戚のような競技なのに、なんでこんなに違うのでしょうか?(まぁ実際にはラグビー界にも差別がたくさんあるんでしょうけど)
なおラグビーのA代表には、外国にルーツを持つ選手がとても多くいます。
日本代表に限った話ではなく、世界中のA代表で共通の現象です。
なぜなら、国別代表に選ばれるための基準が、他の競技と比較してとてもゆるいから。
以下の条件を一つでも満たせば、当該国の代表選手になれるそうです。
・両親、祖父母の誰かが生まれた国
・3年継続して居住した国※ 但し他国の代表歴がない場合に限る
こうした背景から、様々なバックボーンを持つ選手たちで国のナショナルチームが組織されています。さらに、ノーサイド精神があるせいか差別問題が(表面上は)少ない。
・・・こうなると他の競技がバカみたいに見えてきますね。
実体のない国籍や人種で揉めてばかりなんだから。
ブッダさん、言ってやって下さい。
「あらゆるものはノーサイドだよ。諸法無我。」
ダウンタウンの松本人志さんもお願いします。
「巨人と阪神の選手が全員入れ変わったら、どっち応援すんの?」
(正確な引用ソースはないので、実際には言ってないかもしれません。)
スポーツへの熱狂とノーサイド精神は矛盾しない。
ノーサイド≒色即是空。試合≒空即是色
全ての物事に本質的な実体はありません。色即是空。
そして実体がないからこそ、ゲームを楽しむために物事が創られています。空即是色。
ノーサイド精神を実践すれば、ラグビーは高潔な競技です。
そしてノーサイド精神を深く理解すれば、あらゆる差別問題を解決するのに役立ちます。
国籍、人種、出身地、カースト、性、生物としての種、、。
全部実体なんてないんですから。
そしてノーサイド精神を深く理解するには、仏教が適していたりして。
言うたらノーサイド教ですからね。仏教は。
決まれば2点
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