おくりびとを深読みする②「今朝絞めたばかりで新鮮よ!」

食文化について
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映画「おくりびと」シリーズ第2弾です。注目する場面は・・・

解体されたニワトリをゲットした後の

「今朝絞めたばかりで新鮮よ!」

です。

 

今回も広末涼子さん演じる奥さんによるセリフです。

(ややネタバレが含まれます。映画を観てない方は気をつけてね!)

 

【この記事のあらまし】

・絞めたニワトリはご馳走だ。でも状況次第ではグロく見えてしまう?
・食肉は誤解されている。表面的な印象で扱われている。
・誤解の源が慣れの問題であれば、経験する他にない。

 

田舎へ引っ越した後、鶏肉を夕食に配膳しながらの発言です。ご馳走だよ!ってワクワクした声色で。

またも奥さんは隣人からおすそ分けをもらい、今度は解体された後のニワトリだったのです。ご丁寧に頭部もセットで。

ところがそれを見た夫は急に戻してしまいました。というのも、彼は初仕事で腐乱死体を扱い、強烈なショックを受けた直後だったためです。

 

当たり前に食べていた鶏肉は死体だったのだと、きちんと理解したわけですね。強烈なにおいを放つ腐乱死体に触れたせいで。

 

 

ときに奥さん、新鮮よ!だなんて、死んだ直後のニワトリは平気なんですね。数日前は、「このタコまだ生きてる!」だったのに。たまたまタコが苦手だっただけかな?

かたや旦那さんは、ご遺体への当事者意識を持った途端、肉の見え方が変わってしまいました。

 

実際に鶏肉を絞めて捌いてみると実感できるのですが、

ニワトリ → ニワトリの死体 → いつものお肉 といった感じで印象が切り替わる瞬間があります。

可愛い(*´з`) → 気持ち悪い(ーー;) → 美味しそう(≧▽≦) てなかんじ。

 

タイミングとしては、首を落とした瞬間や、内臓と肉を分離した瞬間を境に、別物に見えてきたりします。かなり個人差があります。

つまり見慣れた姿になっちゃえば平気で、普通にお肉として扱えるのです。やっぱルックスですね。

 

これは私たちの生活にもよくある話です。

焼き肉屋で出てきたホルモンは輝いてみえるのに、轢かれた動物を見るのは勘弁して欲しい。ミル貝の寿司は食べれるけど、生きてるやつを見るのはキモイ・・・。

 

 

ちなみ当初は鶏肉にゲロッていたおくりびとも、しばらくすると元通りに回復しました。フライドチキンをがっつけるまでに。

そう、慣れちゃえば平気なんです。生き物を扱う人はみな通る道なんです。医師や獣医師だって最初は解剖や手術が怖かったものです。でも、そのうち当たり前にこなせるようになります。(全員じゃないけど)

 

 

つまり、印象の歪みは経験を通じて解消できるんです。

おくりびとでも繰り返し表現されているメッセージです。

 

ちなみに、お肉が一番おいしいのは捌きたてではありません。好みもあるにせよ、一定の熟成期間を置くと旨味が増すのだとか。新鮮さが命のイメージが強い魚類でさえ、熟成するといい味になる種類もあるそうです。

私は最近まで知りませんでした。思い込みってコワイ。

 

誤解されまくっている肉と命の概念は、そのうち熟成していくのでしょう。そのために経験を積む場が必要であれば、みなさまとシェアしてみたいな。

 

 

 

新鮮なうちに。

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