結婚式で「エイエンノ、アイヲ、チカイマスカ?」
をするお兄さんは、殆どはアルバイトです。
キリスト教の知識や信仰心が、全くない人も大勢です。
あの仕事に必要なスキルは、それっぽい雰囲気とカタコトの日本語、あとはサービス精神だけだからです。割と周知の事実になりましたね。
ガッカリしましたか?
なぜでしょう?
別に偽物だって、いいじゃないですか。
第一、何をもって「ホンモノ」と呼ぶのでしょうか?
結婚式の牧師は、偽物でも喜ばれる
別に偽物だって、いいじゃないですか。
神に向けて永遠の愛(笑)を誓っているのであって、目の前のコスプレイヤーは舞台装置に過ぎないのだから。本物でも偽物でも、何ら問題はないのだから。
それに牧師が本物かどうかなんて、一切興味はないんだから。
牧師にしたって、ホンモノだ!と尊敬して欲しいなんて、自惚れてはいません。
そもそも牧師(プロテスタント。新興的なキリスト教)には、神父(カトリック。伝統的なキリスト教)のような厳密な資格制度はありません。
偉い偉くない(神に近い、近くない?)の上下関係もありません。
だから教会サイドも、ビジネス牧師の存在に文句を言わない、というカラクリです。
これがもしニセ神父(カトリック)だったら、超絶怒られると思います。
まぁ結局は、神さまが相手ですからね。
どんな型式をとろうと、人間が小細工で騙せる相手ではないので、どっちだって同じです。
大事なのは心。
願わくば、結婚もそうであってほしいのですが、、。
葬式の坊主は、本物でも疑問視される
お葬式で見かけるお坊さんは、殆どが本物(のはず)です。
にも関わらず、存在意義を疑問視されて久しい状態です。
でも、別にいいじゃないですか。
仏に向けて死後の幸福(?)を願っているのであって、目の前のニンゲンは舞台装置に過ぎないのだから。本物でも偽物でも、何ら問題はないのだから。
それに坊主が本物かどうかなんて、一切興味はないんだから。
坊主にしたって、ホンモノだ!と尊敬して欲しいなんて、自惚れてはいません。
まぁ結局は、仏さまが相手ですからね。
どんな型式をとろうと、人間が小細工で騙せる相手ではないので、どっちだって同じです。
大事なのは心。
願わくば、葬式はそうであってほしいのですが、、。
表面だけでも本物志向でも、実は変わらない
考えてみると、何を持って「ホンモノ」と呼ぶのでしょうか?
牧師にしても、坊主にしても、耳の聞こえない作曲家にしても、バンクシーの作品にしても、、
本物かどうかは、各々が自分で決めるしかありません。
「本物の僧侶」が腐敗しきっていることもあれば、
「バイトの牧師」が愛に溢れた人物であるケースもあります。
どっちにしろ、人それぞれが受ける印象は違います。
永遠の愛(笑)や死後の幸福(?)を祈るのなら、一切支障はありません。
あるいは、単なるお芝居でよいのなら、それもまた支障がありません。
本物は高潔過ぎて殺される
本物の牧師というのは、キング牧師みたいな人のことです。
彼が敬意を集めた理由は、黒人の権利のために高潔に戦ったからです。
教会に所属していたかどうかとか、需要のある姿と雰囲気で、愛を誓わせる仕事をしてるかは、あまり関係ありません。
そして彼は暗殺されました。
高潔過ぎると(黒い噂もありますが)、この世では敵を作ってしまうから。
どうやら人は、本物になり過ぎると憎まれるようです。
そういえば、結婚式のイエスや葬式のブッダも、迫害されたり殺されたりしています。
歴史を振り返ると、その人物が本物かどうかは、幸福とか無関係なのかもしれません。少なくともこの世では。
もういっそ、神や仏もアルバイトならいいのにね。
幸せな結婚式も、悲しいお葬式も、どうせ嘘まみれなんだから。
あるいは、気にするのをやめれば、全部解決するのかもしれません。
それが唯一の、ホンモノなのかも。
チカイノキスヲ
272447によるPixabayからの画像
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