仏教における中道を、一発で体得できる手段がわかりました。
中道をざっくり言えば、「偏らないこと、とらわれないこと」です。
言葉すると簡単ですが、体得するのは極めて難しく、仏教における永遠のテーマという人もいます。
がしかし、
この記事を読めば、あなたは中道を会得した人物になるための、変身ベルトを手にすることでしょう。
ヴィクトリア・ベッカムの事例
ヴィクトリア・ベッカムは2017年に、18歳の自分に向けた手紙の中で、こう言いました。
有名アイドルグループのメンバーであり、往年の名サッカー選手デイビッド・ベッカムの妻としても知られる彼女は、押しも押されもせぬセレブです。
なのに彼女は怯えていました。
豊胸を受けたことを、何年も認めようとしませんでした。
何度も胸を手術していたことは、誰の目にも明らかだというのに。
不自然すぎる胸は、世界中で笑いものにすらなっていたのに。
清原和博氏の事例
元プロ野球選手の清原和博氏もそうでした。
誰もが認めるスター選手であったにも関わらず、番長キャラを演じることで、筋トレで身体を大きくすることで、、己の弱さを隠していたとご本人も分析しています。
その後、薬物に依存してしまったのは周知の通りです。
筆者の事例
私の場合だと、
見た目で判断してくれるなと言いつつ、他人は外見だけでジャッジしてたとか。
生物を殺すのが嫌なくせに、肉をバクバク食べていたこととか。
人はいずれ死ぬことから目を背けたままで、誰かを弔おうとしてたとか。
あたりでしょうか。未だに悩んでます。
誰もが偏り、とらわれてしまう
期待される役割に苦しみ、なりたい自分と現実とのギャップに苦しむ。
そんな精神の弱さを隠すために、(誰の目にも見える)外見を変える。
その努力は悪いことではありません。
しかし、弱さを認めずに都合のいい部分だけを見せるようになると、人は危険な道に進んでしまうようです。
ヴィクトリアは「女性アイドルはボインでなければ!」
清原は「番長たる自分はマッチョで豪快でなければ!」
筆者は「食事の度に死体を食べてると実感しなければ!」
といった感じで、人は自分や他人をイメージで縛り付け、勝手に苦しむ生き物です。
そしてこれらの背伸びは、遅かれ早かれ失敗に終わります。
仮に他人の目を欺き通せたとしても、自分は騙しきれません。
中道とはこういうこと
しかし、そんな煩悩を突き抜けた連中もいます。
これこそが、悟りを開いた聖人のお姿です。
男だか女だか、マッチョだかボインだか、、、。
清原より強く、ヴィクトリアより美しい、自由な人間の姿です。
なんかもう、あるがままです。とらわれがありません。
繰り返します。中道とは、「偏らないこと、とらわれないこと」です。
もしこの人物が生まれながらのLGBTだとすれば、思春期~青年期にはかなりの試練を味わった筈です。LBGTは大なり小なり、そのコースを通過するから。
でも結局、行き着く先はみんな同じなんでしょうね。
人間が抱える悩み/苦しみの8割を解決するヒントを、写真のブラ男は示しています。
これは仏教で言うところの中道ではないでしょうか。
・・そうか!中道ってなんなのか、やっとわかったぞ。
筋トレしてブラをすればいいんだ!
紳士の諸君はブラを纏え。
淑女の皆様はベンチプレスだ。
で、LGBTの方々は何もする必要なし!
偏見の虚しさを、嫌というほど会得してるでしょうから。
シリコン100cc入り
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