樹木葬を購入するより「葉っぱのフレディ」を読む方が1000倍有益

時事ネタ
この記事は約4分で読めます。

もし樹木葬の購入を検討しているなら、その前に「葉っぱのフレディ」という絵本を読んで見て下さい。

誠に遺憾ながら、樹木葬というサービスは子どもだましです。

本当に大切なことは別にあって、この絵本を読めば理解できます。5分もあれば読めます。

 

そもそも、「樹木に生命を受け継ぐ」という樹木葬のコンセプトを本当に理解しているのなら、樹木葬を購入するわけがありません。

確信を理解できていないから、樹木葬を選択してしまうのですから。

 

葉っぱのフレディの気高さ

葉っぱのフレディの主題を要約します。
できれば作品を読んでほしいのですが・・

春に生まれた葉っぱのフレディが、自分という存在に気づき、成長し、「葉っぱに生まれてよかったな」と思い、「葉っぱの仕事」を終えて冬に土へとかえっていくまでの物語。

死を怖がるフレディに親友のダニエルが答える。「変化するって自然な事なんだ…死ぬというのも 変わることの1つなのだよ」。フレディの番が来て、地面に降りたとき、初めて自分の命を作った木の全体の姿を見て、そこに永遠の命を感じる。そして、フレディ自身は知らなくても、やがて土にかえり木を育てる力になる――。

Amazonの商品説明より引用

 

一枚の葉っぱであるフレディは、死んで初めて生命の全体性を理解します。

葉っぱの自分は、木の一部に過ぎなかった。

その木にしても、森の一部に過ぎなかった。

その森にしても・・・全ては全体の一部に過ぎなかった。

 

きっとフレディは、自分がくっついていた木へのこだわりなど、完全に捨ててしまったでしょう。

だってこれから、もっと大きなものに溶けていくのだから。

 

樹木葬ビジネスの矮小さ

 

一方で樹木葬ビジネスといえば、

「樹の根元に遺骨を埋めました。さぁ、これで樹がお墓ですよ!この樹にお墓参りして下さいね!はい○○万円です。」

 

って、おい。

全然わかってないじゃん、、。

 

この樹とかこの墓とか、固定された存在ではなくて、もっとスケールの大きな自然へ循環するのではなかったのでしょうか?あと立場上言えないのは仕方ないけれど、費用が一切かからないことも、葉っぱのフレディは示しています。

樹木葬はコンセプトを理解され過ぎると、逆に売れなくなる商品なんです。

 

だから絵本「葉っぱのフレディ」を読んでほしいんです。樹木葬なんてどうでもいいから。

中古なら1円です。内容を紹介して下さっているサイトだってあります。

安くても10万する樹木葬を買うくらいなら、購入資金をどこかに寄付したほうが、きっと故人も喜びますよ。それが本当のお布施です。追善供養です。

 

別にお墓ビジネスを否定するワケではありません。

しかし、日本の葬儀文化が幼い原因は、ニセ僧侶や悪徳葬儀社を大量に養ってしまう、この現実にあります。

 

消費者サイドにしても、雰囲気だけのお墓を建てて、体裁を取り繕って満足するのはいかがなものでしょうか。その無関心こそが葬式仏教の温床であり、日本の葬儀文化を腐敗させてきた原動力です。

ハリボテのようなお墓や供養を購入する遺族を、悲しげに眺めている故人を想像してみて下さい。

 

樹木葬の売上を、もし別の事業に使えたら・・

 

本当の宗教家というのは、「葉っぱのフレディ」のようなメッセージを伝えてくれる存在であって、私欲のために嘘をつき続ける連中ではありません。

まぁ葬儀社が墓業者が樹木葬を売り出すのは、民間企業だからまだいいとして、、。

 

お布施という名目で、宗教家に多額のお金を渡す必要が、本当にあるのでしょうか?

その価値があるのは、彼らよりも「葉っぱのフレディ」だったりして。

 

 

なお葉っぱのフレディは死後、大地の養分となって新しい生命を養います。

樹木葬にかけた費用も、新しい命の養分になって社会を循環すればいうことなしですね。例えば○英会とか○十字とか、次世代のための事業に。

 

それが葬儀や弔いの、本来のあり方なのかもしれません。

さて、どんな事業につなげる仕組みがいいかなぁ?

 

 

 

バナーのダニエル

 

NickyPeによるPixabayからの画像

 

スポンサーリンク  

コメント

タイトルとURLをコピーしました