反出生主義を動物で理解する① TNRは愛猫家による野良猫の絶滅計画

動物との付き合い方
この記事は約14分で読めます。

「反出生主義」という思想が、若い人に支持を集めているらしい。

ザックリ言うと「人間は子どもを産むのを控えて、ゆるやかに絶滅すべき」というアイデアだ。

 

 

ずいぶん暗い思想だなぁ、という直感を受ける人が多いが、深く考えると簡単には否定できなくなる。そんな奥深さがあり、単なる中二病的な思想ではない。

 

細かい説明は他サイトに譲るとして、当記事はこの反出生主義を、人間ではなく動物の例で考えることで理解を深めるという試みである。

なぜなら反出生主義は、人間を対象にする場合にはあくまで哲学的に論じられるのだが、人間が管理する動物については、長年にわたり実践されてきたからだ。

というか、動物に関しては半出生主義はほぼ常識とすら言える。

(まぁ厳密な反出生主義とは言えない面もあるけれど)

 

 

思想というのは机上の空論ではない。現場で経験やノウハウが結晶化したものである。いや、それが無い思想には価値がない。

そこで、みんな大好きネコちゃんの事例にて、筆者の経験をもとに「反出生主義」という思想がどれほど身近なものか、紹介してみようと思う。

 

 

ちなみに最初に結論を述べておくと、筆者は反出生主義に反対である。

しかし、反出生主義を通して生命に対する理解を深めることは賛成、という立場だ。

 

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TNR活動は愛猫家による野良猫の絶滅作戦

 

現在日本では、野良猫を最小限の苦痛で絶滅させる取り組みが進んでいる

TNRと呼ばれるこの取り組みは、反出生主義の実践といって差し支えないだろう。

※ TNR活動とは(trap, neuter, return)の頭文字であり、

野良猫を捕獲(trap)し、不妊手術(neuter,)を施し、元の場所に戻す(return)活動のこと。野良猫の繁殖を防ぎつつ、殺処分を回避する活動。

 

TNRの詳細はこちら

→ 2019/10/31 野良猫のTNR活動は、カワイイ!をテコに社会を変える試みだ

 

 

要するに、野良猫が産まれると猫サイドも人間サイドも不幸になるから、殺処分などの残酷な手段を伴わない方法で絶滅してもらおう!という実践である。

ちなみに野良犬の場合、日本国内におけるTNR計画はほぼ完了している。一部の離島を除き、野良犬を目にすることはもう無いはずだ。(但し犬の場合は、TNRではなく保健所による徹底的な殺処分による成果である。)

遅かれ早かれ、野良猫も野良犬に次いで姿を消すだろう。その位、愛猫家たちの行動力は凄まじいものがあるからだ。

 

公益財団法人どうぶつ基金様のHPより引用

 

つまり、私たちが野犬による狂犬病に怯えなくて済んでいるのは、過去に反出生主義が実践されたおかげなのだ。

 

 

仮にもう一度、何らかの要因で野犬が増えたとしたらどうだろう?

自然のままが素晴らしい!などという政策が生まれて、諸外国のようにあちこちに野犬が現れ、夜におちおち出歩けなくなったとしたら?

 

きっと野犬の絶滅が望まれるだろう。

つまり私たちは、既に反出生主義の恩恵を受けて暮らしている。

 

人を襲うことはほぼ無い猫の場合でも、およそ同じ結果となるはずだ。

何よりも、実際に野良猫の(穏便な)絶滅が望まれてTNR活動が進んでいるのだから。

 

野良猫が増える原因は無知と貧困

 

無知と貧困が人口爆発の原因となるのは、人間も猫も同じである。

人間であれば、避妊器具の普及や教育が必要となるように、猫の場合は人間が介在が結果を左右する。

 

 

筆者がTNR活動をしていた際、あまりに野良猫が多い背景には、感情的にエサをあげてしまう地域住民の存在があることを知った。

彼らはエサをあげることで、可哀そうな野良猫が増やしまうことを理解していない。ただカワイイからエサをあげるのである。

 

それだけならまだしも、それらの事情を説明して無条件のエサやりと控えるように提案しても、まるで聴く耳を持たないケースが多い。

彼ら彼女らは往々にして高齢であり、孤独を抱えており、場合によっては痴呆や精神疾患を伴っていることもある。

 

明らかに野良猫なのに「放し飼いにしている飼いネコだ!」と言い張ったり、都合が悪くなると大声でキレたりするような状態であることも多い。

筆者が直に接した「エサやりさん」のうち、半数はそうした人物であった。過度な猫好きにはメンヘラが多い、という俗説は残念ながら当たっていると思う。

 

 

原則として、TNRを行うのはエサをあげて世話する人と同じであることが好ましい。

そうでなければ、特定の少数個人ばかりが手間や費用を負担することになる。

そして無節操なエサやりが減らなければ、地域猫(不妊化され繁殖の恐れがなくなった猫)との共存という目標が遠のいてしまうからだ。

 

 

繰り返す。

無知と貧困が人口爆発の原因となるのは、人間も猫も同じである。

 

人間の場合だと、教育や経済が発達するにつれ出生数が下がる傾向にある。これはどの文化圏でもほぼ同じだ。

しかしその次の段階として、人間はこれ以上子どもを産むべきではない、とする反出生主義が誕生した(正確には支持者の増加)のは興味深い。

 

反出生主義を信ずる人々は、これを人間が現状を正しく認識できるようになったからだと説明する。

 

つまりは学問や文化が洗練された結果として、私たちは絶滅するべきだと言うのだ。

 

多くの人は、この結論を鼻で笑うだろう。

しかし、野良猫や野良犬が絶滅に向かった経過を見返せば、あながち間違っているとは言えなくなってしまう。

 

ちなみに、世界にある多くの宗教は、現世での幸せをあまり重視していない。

天国への生まれ変わり、苦しみの輪廻からの解放、個を失って神との融合する、などと細かい違いこそあれど、人間として生きることを完了し、その先にある何かに向かおうとする点は共通している。

 

それはまるで、人間が可哀そうな野良猫を絶滅させ、全てを幸せな屋内猫にしたがるかのようだ。

 

(補足すると、反出生主義には宗教的な観点はない。厳密な唯物論であるため、宗教のメタファーがそのまま当てはまるわけではない。)

 

野良猫は本当に不幸なのか?生まれるべきではないのか?

 

TNR活動で野良猫を減らすのは猫のためではない。主に人間のためである。

それは人間社会において野良猫が邪魔であり、かといって殺す罪悪感を受け入れるのも嫌だから、猫に穏便に立ち退いてもらっているに過ぎない。

 

理由はいくつかある。

 

理由①野良猫は自分を不幸とは思っていない

 

野良猫は室内猫の世界を知らない。

 

本来猫は、野生でも十分生きていける動物だ。コンクリートジャングルを野生と呼ぶかはともかく、猫だけを特別扱いする理由は何もない。

あるとすれば、人間にとってカワイイから、それだけである。

 

野良猫の寿命が室内猫と比べて短いだとか、けがや病気の対処をしてもらえない、交通事故に遭うリスクが高いなどの理由は、全てそれを目にする人間が不快だから、というだけだ。

当然だろう。全ての野生動物はその条件で生きているのだから。

 

理由②野良猫が不幸なら、全ての野生動物も不幸?

重ねて言うが、猫だけを特別扱いする理由は何もない。

もし特別だというのなら、今度は動物園にいる全ての種に対して差別を働いていることになる。人間が飼育できるのに野生下にいる個体は、全て不幸ということになってしまう。

 

つまり「野良猫より室内猫の方が幸せ」というのは、どこまでいっても人間の主観に過ぎない。

 

 

それなのに、「野良猫の絶滅は正義、室内猫の絶滅は悪」であると信じて疑わない人が多いのは興味深い。反出生主義が注目されたのと同じように興味深い。

だって人間だもの。ということだろうか?

 

理由③室内猫として幸せになれない個体がいる

さらに現実問題として、野良猫を屋内で飼おうとすると、ストレスで体調を崩す個体が必ずいる。あるいは、生涯人間に懐かないまま死を迎える個体もいる。

それは致し方ないことだ。持って生まれた性格や幼少期に野良猫として過ごした経験は、そう簡単には変えられない。

だから室内で人間に飼われることが、すべての猫にとって幸せとは限らないのだ。

 

これは余談だが、猫の保護活動をする人間の中にも、人に懐かない猫だと分かった途端に冷淡になる人物は多い。

そのような人たちは、猫を愛するふりをして自分だけを愛しているのだろう。尤も、誰一人それを批判する資格はないのかもしれないが。

 

まとめ

 

念のため申し上げておくが、私はTNRの批判をしたいのではない。むしろ大賛成である。(自分でもやっているぐらいなので)

 

かといってこれが最善の策と思ったことは一度もない。

その次の何かに至るための途中経過と思い、考えながら取り組んでいる。ただ、その行き先を定めるためには、反出生主義を理解することは必須のように思える。

 

 

ここで前述した5つの観点をおさらいする。

・猫を愛するがゆえに野良猫の絶滅が願われ、現実に実行されている。

・無知と貧困が減れば人口爆発は収まるのは猫でも同じ。

・野良猫は自分が不幸かどうかを判断できない。

・野良猫が不幸だとすれば、全ての野生動物が不幸であることになってしまう。

・室内猫より野良猫でいた方が幸せな個体もいる。

 

 

これらは全て、筆者が現場で体験した現実である。

以上を踏まえ、「人間は子どもを産むのを控えて、ゆるやかに絶滅すべき」という反出生主義のテーゼをもう一度考えてみよう。

 

 

・・・

 

 

もし猫のTNRが正義である、あるいは苦肉の策として推奨される行為だとすれば、それを人間にも適応しない理由は何だろうか?

 

猫ではOKなのに、人間ではNGな理由があるのだろうか?

 

一方を認め、もう一方は認めない。というのは不可能に私には思える。

 

 

となると困ったぞ。

既に野良猫で反出生主義が実践されている以上、人間にも同じことをしなくてはならなくなる・・。

(実はヒトに対してもTNRは既に実行されている。出生前診断や中絶、他にも強制断種などがある。別記事にて詳しく扱う)

 

 

そう考えると、反出生主義を一笑に付することは、もはや誰にもできなくなる。

次は猫以外の動物でもって、更に考えを深めていくことにしよう。

 

なお筆者の場合、それでもなお反出生主義には反対であるし、その信念は微動だにしていない。

 

 

パート②につづく

 

 

反押下主義には反対です

 

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