反出生主義を動物で理解する① TNRは愛猫家による野良猫の絶滅計画

動物との付き合い方
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昨今(2020/12/30執筆時点)「反出生主義」という思想が、若い人に支持を集めているようです。

反出生主義とは、ザックリ言うと「人間は子どもを産むのを控えて、ゆるやかに絶滅すべき」というアイデアです。

 

 

ずいぶん暗い思想だなぁ、という直感を受ける人が多いのですが、深く考えると簡単には否定できなくなります。単なる中二病的な思想とは異なります。

 

細かい説明は他サイトに譲るとして、当記事はこの反出生主義を、人間ではなく動物の例で考えることで理解を深めるという試みです。

なぜなら反出生主義は、人間を対象にする場合にはあくまで哲学的に論じられているに過ぎませんが、人間が管理する動物については、長年にわたり実践されてきたからです。

 

というか、動物に関して反出生主義はほぼ常識とすらです。

(まぁ厳密な反出生主義とは言えない面もあるけれど)

 

 

思想というのは机上の空論ではありません。

現場で経験やノウハウが結晶化したものです。いや、それが無い思想には価値がありません

 

そこで、みんな大好きネコちゃんに関する筆者の経験をもとに、

「反出生主義」という思想がどれほど身近なものなのか、紹介してみようと思います。

 

 

最初に結論を述べておくと、筆者は反出生主義に反対です。

しかし、反出生主義を通して生命に対する理解を深めることは大賛成、という立場をとっています。

 

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TNR活動はノラ猫の絶滅作戦

 

現在日本では、野良猫を最小限の苦痛で絶滅させる取り組みが進んでいます。

TNRと呼ばれるこの取り組みは、反出生主義の実践といってほぼ差し支えありません。

※ TNR活動とは(trap, neuter, return)の頭文字であり、

野良猫を捕獲(trap)し、不妊手術(neuter,)を施し、元の場所に戻す(return)活動のこと。野良猫の繁殖を防ぎつつ、殺処分を回避する活動。

 

TNRの詳細はこちら

→ 野良猫のTNR活動は、カワイイ!をテコに社会を変える試みだ

 

 

要するに、野良猫が産まれると猫サイドも人間サイドも不幸になるから、殺処分などの残酷な手段を伴わない方法で絶滅してもらおう!という実践です。

ちなみに野良犬の場合、日本国内におけるTNR計画はほぼ完了しています。

一部の離島を除き、野良犬を目にすることはもう無くなりました。

(ただし犬の場合は、TNRではなく保健所による徹底的な殺処分による成果です)

 

遅かれ早かれ、野良猫も野良犬に次いで姿を消すと思われます。

その位、愛猫家たちの行動力は凄まじいものがあるからです。

 

公益財団法人どうぶつ基金様のHPより引用

 

つまり、私たちが野犬による狂犬病に怯えなくて済んでいるのは、過去に反出生主義が実践されたおかげなのです。

 

 

仮にもう一度、何らかの要因で野犬が増えたとしたらどうでしょう?

自然のままが素晴らしい!などという政策が生まれて、諸外国のようにあちこちに野犬が現れ、夜におちおち出歩けなくなったとしたら?

 

きっと野犬の絶滅が望まれると思います。

つまり私たちは、既に反出生主義の恩恵を受けて暮らしているのです。

 

人を襲うことはほぼ無い猫の場合でも、およそ同じ結果となるはずです。

何よりも、実際に野良猫の(穏便な)絶滅が望まれてTNR活動が進んでいるのですから。

 

野良猫が増える原因は無知と貧困

 

無知と貧困が人口爆発の原因となるのは、人間も猫も同じです。

人間であれば、避妊器具の普及や教育が必要となるように、猫の場合は人間が介在が結果を左右します。

 

 

筆者がTNR活動をしていた際、あまりに野良猫が多い背景には、感情的にエサをあげてしまう地域住民の存在があることを知りました。

彼らはエサをあげることで、可哀そうな野良猫が増やしまうことを理解していません。

ただカワイイからエサをあげちゃうのです。

 

それだけならまだしも、それらの事情を説明して無条件のエサやりと控えるように提案しても、まるで聴く耳を持たないケースばかりです。

彼ら彼女らは往々にして高齢であり、孤独を抱えており、場合によっては痴呆や精神疾患を伴っていることもあります。

 

明らかに野良猫なのに「放し飼いにしている飼いネコだ!」と言い張ったり、都合が悪くなると大声でキレたりするような状態であることも多いです。

筆者が直に接した「エサやりさん」のうち、半数はそうした人物でした。

過度な猫好きにはメンヘラが多い、という俗説は残念ながら当たっていると思います。

 

 

原則として、TNRを行うのはエサをあげて世話する人と同じであることが好ましい、と言われています。

そうでなければ、特定の少数個人ばかりが手間や費用を負担することになるからです。

そして無節操なエサやりが減らなければ、地域猫(不妊化され繁殖の恐れがなくなった猫)との共存という目標が遠のいてしまいます。

 

 

繰り返します。

無知と貧困が人口爆発の原因となるのは、人間も猫も同じです。

 

人間の場合だと、教育や経済が発達するにつれ出生数が下がる傾向にあります。これはどの文化圏でもほぼ同じ現象です。

しかしその次の段階として、人間はこれ以上子どもを産むべきではない、とする反出生主義が誕生した(正確には支持者の増加)のは興味深い流れです。

 

反出生主義を信ずる人々は、これを人間が現状を正しく認識できるようになったからだと説明しています。

 

つまりは学問や文化が洗練された結果として、私たちは絶滅するべきだと言うのです。

 

多くの人は、この結論を鼻で笑うでしょう。

しかし、野良猫や野良犬が絶滅に向かった経過を見返せば、あながち間違っているとは言えなくなりませんか?

 

ちなみに、世界にある多くの宗教は、現世での幸せをあまり重視していません。

天国への生まれ変わり、苦しみの輪廻からの解放、個を失って神との融合する、などと細かい違いこそあれど、人間として生きることを完了し、その先にある何かに向かおうとする点は共通しています。

 

それはまるで、人間が可哀そうな野良猫を絶滅させ、全てを幸せな屋内猫にしたがるかのようです。

 

(補足すると、反出生主義には宗教的な観点はありません。厳密な唯物論であるため、宗教のメタファーがそのまま当てはまるわけではないので注意を)

 

野良猫は不幸なのか?生まれるべきではないのか?

 

TNR活動で野良猫を減らすのは猫のためではなく、主に人間のためです。

それは人間社会において野良猫が邪魔であり、かといって殺す罪悪感を受け入れるのも嫌だから、猫に穏便に立ち退いてもらっているに過ぎません。

 

理由はいくつかあります。

 

理由①野良猫は自分を不幸とは思っていない

 

野良猫は室内猫の世界を知りません。

人間に飼われるという世界を知りません。

 

本来猫は、野生でも十分生きていける動物です。

コンクリートジャングルを野生と呼ぶかはともかく、猫だけを特別扱いする理由は何もありません。

理由があるとすれば、人間にとってカワイイから、それだけです。

 

野良猫の寿命が室内猫と比べて短いだとか、けがや病気の対処をしてもらえない、交通事故に遭うリスクが高いなどの理由は、全てそれを目にする人間が不快だから、というだけです。

当然でしょう。全ての野生動物はその条件で生きているのですから。

 

理由②野良猫が不幸なら、全ての野生動物も不幸?

重ねて言いますが、猫だけを特別扱いする理由は何もありません。

 

もし特別だというのなら、今度は動物園にいる全ての種に対して差別を働いていることになります。

人間が飼育できるのに野生下にいる個体は、全て不幸ということになってしまいます。

 

つまり「野良猫より室内猫の方が幸せ」というのは、どこまでいっても人間の主観に過ぎません。

 

 

それなのに、「野良猫の絶滅は正義、室内猫の絶滅は悪」であると信じて疑わない人が多いのは興味深いです。反出生主義が注目されたのと同じように興味深いです。

だって人間だもの。ということなのでしょうか。

 

理由③室内猫として幸せになれない個体がいる

さらに現実問題として、野良猫を屋内で飼おうとすると、ストレスで体調を崩す個体が必ずいます。あるいは、生涯人間に懐かないまま死を迎える個体もいます。

 

それは致し方ないことです。

持って生まれた性格や幼少期に野良猫として過ごした経験は、そう簡単には変えられません。

だから室内で人間に飼われることが、すべての猫にとって幸せとは限らないのです。

 

これは余談ですが、猫の保護活動をする人間の中にも、人に懐かない猫だと分かった途端に冷淡になる人物は多いです。

そのような人たちは、猫を愛するふりをして自分だけを愛しているのでしょう。尤も、誰一人それを批判する資格はないのかもしれませんが。

 

まとめ

 

念のため申し上げておきますが、私はTNRの批判をしたいのではありません。

むしろ大賛成です。(自分でもやっているぐらいなので)

 

かといってこれが最善の策と思ったことは一度もありません。

その次の何かに至るための途中経過と思い、考えながら取り組んでいます。ただ、その行き先を定めるためには、反出生主義を理解することは必須のように思えます。

 

 

ここで前述した5つの観点をおさらいします。

・猫を愛するがゆえに野良猫の絶滅が願われ、現実に実行されている。

・無知と貧困が減れば人口爆発は収まるのは猫でも同じ。

・野良猫は自分が不幸かどうかを判断できない。

・野良猫が不幸だとすれば、全ての野生動物が不幸であることになってしまう。

・室内猫より野良猫でいた方が幸せな個体もいる。

 

 

これらは全て、筆者が現場で体験した現実です。

以上を踏まえ、「人間は子どもを産むのを控えて、ゆるやかに絶滅すべき」という反出生主義のテーゼをもう一度考えてみましょう。

 

 

・・・

 

 

もし猫のTNRが正義である、あるいは苦肉の策として推奨される行為だとすれば、それを人間にも適応しない理由は何でしょうか?

 

猫ではOKなのに、人間ではNGな理由があるのでしょうか?

 

一方を認め、もう一方は認めない。というのは不可能に私には思えます。

 

 

となると困りました。

既に野良猫で反出生主義が実践されている以上、人間にも同じことをしなくてはならなくなる・・。

(実はヒトに対してもTNRは既に実行されています。出生前診断や中絶、他にも強制断種など。別記事にて詳しく扱います)

 

 

そう考えると、反出生主義を一笑に付することは、もはや誰にもできません。

次は猫以外の動物でもって、更に考えを深めていくことにしましょう。

 

なお筆者の場合、それでもなお反出生主義には反対であるし、その信念は微動だにしていません。

 

 

反押下主義には反対です

 

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