典座教訓を読むよりも、野菜や家畜を育てて殺す体験のほうが有意義

食文化について
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典座教訓(てんぞきょうくん)という本の要点は、

「食事を作ったり食べたりすることは、そのまま仏教の修行だよ!」

 

というものです。

原書はすこし読みづらいので、内容をザックリとご紹介します。

 

 

作中にこんな記述があります。

 

「あらゆることをきわめてみたら、すべてが夢、幻」

「悟りはどこにあるかと探し続けたが、この世のどこにも転がっていた」

典座教訓 10章 禅師、食の心理に目覚める より引用

 

本書で繰り返し伝えられているのは、仏教の修行というのは、何も特別なことをする必要はないということです。

当たり前の日常を、ひとつひとつ丁寧に行うこと。

 

そうすると、まずは日々の食事が修行に変わります。

次は生活すべてが修行となって、最終的には悟りへとつながりますよ!

 

というのが本書のコアメッセージです。

 

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著書は道元。典座とはお寺の食事係

 

「典座教訓」の著者は道元(どうげん)です。

仏教の曹洞宗という宗派の創始者です。歴史の教科書にものってるエライ人です。

典座教訓という作品は、そんな偉人が「ごはんはメッチャ大切な修行だよ!」と言い伝えるために書き起こされました。

 

 

典座(てんぞ)というのは、お寺における食事を作る係のことです。

禅寺というのは、僧侶が集団生活を送るための場所です。だから食事を作る専門のポジションが求められていました。

しかし、典座は雑用みたいなものと当時は考えられていました。

 

著者である道元も、「食事の世話なんて下っ端にやらせておけばいい。もっと大切な修行を、、座禅や経典の研究などに時間を割くべきだ!」

と最初は考えていました。

 

典座教訓はこんなエピソードがあります。

 

料理なんて下っ端に任せりゃいい?

 

道元が若いころ、中国に留学した時の話です。

彼はとあるベテラン僧侶と知り合いました。その僧侶は、遠くの寺で典座をしているそうです。

 

 

道元「せっかくの縁ですから、ゆっくりお話をしましょう」

僧侶「いや、私はすぐに寺に戻って、仲間たちにごちそうを作る仕事があるもので」

道元「そんなつまらない仕事は、他にまかせればいいじゃないですか。なんで修行をほったらかして、そんなことばっかやってるんですか?」

 

僧侶「フッフッフ、お若い人よ。あなたはまだ、修行するということを体得していないようですね」

道元「!!!」

 

僧侶「私の言った意味がわからなかったら、いつでもお寺に遊びにおいで。その時は心ゆくまで語りありましょう。そんじゃーね」

 

 

ショックを受けた道元は、自分の至らなさを思い知らされました。

その後ゆっくりと時間をかけて、彼の真意を理解していったようです。

 

 

では、道元に欠けていたものとは、一体何だったのでしょうか?

 

若き道元に足りなかったもの

 

当時の道元に足りなかったもの、、

それは、物事の貴賤を勝手に決めつけていたことです。

 

典座の仕事や食事という営みを、1段劣るものだと考える傲慢さにありました。

 

 

典座教訓にこんな一文があります。

「食材と道具は自己そのものなり。分離することなかれ」

料理心得より引用

 

いろいろと論点はありますが、最終的な着地点はここです。

 

 

「食べ物や道具たちは、自分そのものなんだよ。それを忘れないでね」

これが仏教の根幹だからです。

 

だって実際にそうでしょう?

・私たちは食べ物でできている

・その食べ物は、フライパンや鍋などの道具で調理されている

・そして世界には三種類の物体しかない。私と食べ物と道具である。

 

 

一言でいえば諸行無常です。

その事実を体得するのに、食事ほどわかりやすいものはありません。

なぜなら食材は、すべて他の生き物の死骸だからです。

 

 

そのへんが理解できれば、形の悪いニンジンだからって粗末にしなくなります。

質の悪い野菜でも全力で調理するようになります。

 

 

ましては、典座の仕事を軽く見るはずがありません。

それが、食事はそのまま修行であるという意味です。

 

 

ちなみに、インスタントラーメンは低俗で、A5ランクのステーキは素晴らしいと思っている人はいませんか?

食品業界に踊らされていることに気づきましょう。それは単なるイメージですからね。

 

 

A」は歩留まりの等級のことです。

牛の生前体重に対して、どれだけの可食部が得られるかの数字です。

つまり体脂肪率みたいなもので、味とは何の関係もありません。

 

つまり

「A5ランクのステーキを食べているのさ」

というドヤりは無知の表明でしかありません。お気をつけ下さい。

5」は普通に肉質の等級なので、まぁいいと思います。

どんな苦しい人生でも全力で調理を

 

どんな食材でも全力で調理できれば、、、

それはすなわち、苦しみの多い世界でも、全力で生きるようになるはずです。

 

自分と世界が分離したものだと捉えずに、あるがままを受け入れられるようになります。

例えば、毎日のルーティンである食事づくりであも、心から楽しめるかもしれませんよ?

 

 

こんな話が、様々な角度から展開されるのが典座教訓です。

他には、

・道具は大切にしろ

・食材は自分の瞳のように丁寧に扱え

・食事を作ることは、仏様への供え物そのものである

・ひとつひとつの動作を、意識して丁寧にこなすように

 

といった細部の心得が、事細かに描かれています。

それでも話の終着点は一つです。

 

まとめ

 

もうおわかりですね。

「食材と道具は自己そのものなり。分離することなかれ」

 

典座教訓の要点は、そこに尽きます。

これを心底体得できたなら、本を読む必要は一切ありません。

 

 

余談ですが、「どうぶつの国」という自然界の弱肉強食をテーマにした漫画に、ドウゲンというキャラが出てきます。

 

食べることを通じて、大きな成長を遂げるトラのキャラクラーです。

彼のモデルは、間違いなく典座教訓の著者である道元(ドウゲン)でしょうね。

 

そしてこの漫画、典座教訓よりもはるかに面白いかもしれません。

(典座教訓の質が低いのではありません。時代を感じる表現が多くいせいで現代人には読みづらいためです。)

 

同じ食というテーマを扱いながらも、子どもから大人まで楽しめる名作です。

動物をあつかった娯楽作品は数あれど、「喰い喰われるという自然界のリアリティ」にここまで踏み込んだ作品は、中々ないと思います。

 

現代の典座教訓として、オススメですよ。

 

 

 

クリック一つも修行なり

 

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