あなたの骨は、あなたが食べた魚の骨からできています。
そして魚の骨は、みんなが海にバラまいた骨が原料です。
あなたが自然に還るように、自然もあなたに還っています。
終着点はありません。
大切なのは、それを理解することです。
散骨もお墓も、大して重要ではありません。
この記事は、散骨の本質についての理解をうながす情報です。
所要時間5分。費用は0円。効果は一生続きます。
だからこそ、この話は隠される傾向にあります。
なぜなら業者が儲からなくなるから。
何も考えずに、サービスにお金を払う無知な消費者でいてほしい!
・・と葬儀社や散骨業者、お寺の人は(腹の底では)思っているからです。
そんな在り方に疑問を感じるので、散骨の本質についての理解をシェアしたいと思います。
スポンサーリンク
自然に還る必要なんてない
「大切な故人を、散骨で自然に還してあげましょう!」
といった謳い文句の散骨サービスを、よく見かけないでしょうか?
しかし、ちょっと待って下さい。
本当に大切なのは、、
「散骨などしなくても、誰もが最初から自然そのものである」
と思い出してもらうことです。
それさえ理解できれば、散骨もお墓もさして重要な話ではありません。
散骨の本質は行為ではなく、認識の変化
宇宙が誕生して128億年、地球に生命が誕生して38億年、ずーーーっと散骨は続いてきました。
だってそうでしょう?
毎日の食事として、他の生き物を食べて身体を維持しているのですから。
私たちはてっぺんからつま先まで、100%自然そのものです。
他の何かには決してなれません。
もしピンと来ないなら、こう考えてみて下さい。
・あなたのお肉や内臓をぶら下げている、その骨がどこから来たのか?
・次にごはんを食べる時、お皿の上にお肉や骨が乗っていないか?それはどこから来たのか?
実はこれ、お坊さんが葬式で唱えているお経の内容なんです。
本当に伝えたいメッセージはこれなんです。
なんとなく儀式をして、神妙な顔で時間をやり過ごしてほしいのではありません。
少なくとも建前上は。
散骨はいつでもどこでも出来る
あなたは散骨に何を期待しているのでしょうか?
こう考えてはいませんか?
・故人を自然に融合させて、感謝の気持ちを表現したい。
・故人が亡くなった実感を得たい。
・大自然そのものを、故人のお墓にしたい。
どれも立派な動機だと思います。
しかしそれは、散骨をしないと達成できませんか?
「散骨の本質は、行為ではなく認識の変化」です。
つまり
「散骨はいつでもどこでも出来る!」
というか、せざるおえません。
ごはんを食べないと死んでしまう私たちは、一生散骨を続ける宿命にあります。
ということを周知することが、より多くの人を幸せにする道だと確信しています。
別に散骨文化を否定したいワケではありませんよ。
そうすれば、
・おかしな業者に騙される人が減るでしょう?
・お金や費用を、もっと有意義なことに使えるでしょう?
・故人を失った悲しみに、もっと寄り添うことができるでしょう?
・死生観がより深まれば、よりよい社会を次の世代の残せるでしょう?
葬儀業者のチンケな利益のために思考をコントロールされて、人間の尊厳を犠牲にするなんて、おかしな話じゃないですか。
全ての海はつながっている。もちろん海以外も
「故人を東京湾に散骨したので、命日には東京湾にお参りに行ってます!」
というご遺族の方がいらっしゃいます。
もちろん気高い行為であって、何も落ち度はありません。
しかし、「東京湾」という概念にとらわれ過ぎにもお見受けします。
せっかく散骨したのだから、もっと大きなものをお墓代わりにしてはいかがでしょうか?
地球全体とか、自然全体とか。
全ての海は一つにつながっているのですから。
東京湾とか大西洋なんて、人間が勝手に決めた呼び名にすぎないのだから。
まとめ
「散骨で自然に還る!」というアイデアはナンセンスです。
誰もが最初から自然だと思い出せれば、世界全てがお墓です。同時にゆりかごです。
そいつを理解すれば、弔いでおかしな迷いや悩みを持つことはなくなります。
・お墓がなくてかわいそう、、。
・お経をあげなくていいのだろうか?
・故人は散骨したことを悲しんでないかな?
全てだいじょうぶです。
安心してください。
そして、その不安につけ込まれないように注意してください。
弔いには、もっと大切な要素があります。
幸いそれは無料です。とても簡単です。一生役にたちます。
実はこの話、仏教そのものと言ってもいいコンセプトです。
なのにおかしな弔い文化が幅をきかせていて、多くの人が困っているとしたら・・・
皮肉な話ですね。
愛と知恵のある弔い文化が広がることを祈ります。
全てのリンクは繋がっています
スポンサーリンク
コメント