漫画「ホムンクルス」の考察。魔境は自分自身を見つめる限界点にある

人間の認識について
この記事は約33分で読めます。

漫画「ホムンクルス」の考察記事です。

ラストの「名越が○○になる現象」について、深く掘り下げたいと思います。

(ネタバレありです。ご注意下さい)

 

よくある表面をなぞっただけの考察記事よりも、一歩進んだ品質を目指します。

 

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ホムンクルスってどんな作品?

原作を見ていない方のために、作品概要をかんたんにご紹介します。

 

漫画「ホムンクルス」は深層心理をテーマにした作品です。

あるキッカケから、人の心の歪みが ”ビジュアルで見える” ようになってしまった男が、自分や他人の心を理解しようと奔走するお話です。

 

誰もが持っている心の弱さや、社会との軋轢から産まれたトラウマを・・・

徹底的にエグる展開が繰り返されます。

 

個人的には、最高におもしろいと思う作品の一つです。

序盤にでてくるヤクザの組長の話なんかは、読み返すたびに泣いてしまいます。

 

 

2021年4月には、綾野剛を主演にして実写映画になるようです。

 

率直なところ、映画であの奥深さを料理するのは無理かなぁと思います。

大衆受けしそうにない、難しい話ですし・・

でも、予想をいい意味で裏切ってくれることを、楽しみにしています。

 

 

なお作者の山本英夫氏は、人間心理を徹底して深堀りする作家です。

ホムンクルス以前の作品である「殺し屋イチ」や「オカマ白書」を読むと、これらは全てつながった一つの作品だとわかるはずです。

絵柄やストーリーこそ違えど、あちこちに共通のモチーフが出てきて、作者の関心が深層心理に向かって加速していく様子が読みとれます。

 

ホムンクルスが楽しめた方は、次は「殺し屋イチ」をオススメします。

「痛みを介した快感」と「自己愛」がテーマでありつつも、ラブコメとして(冗談ではなく)秀逸です。

コレほど気色悪いラブコメ(褒めてます)を、私は他に知りません。

 

ラストの解釈について

さて、考察に入ります。

 

ホムンクルスのラストで名越は、

街を歩く他人がすべて、自分自身の顔に見えるようになります。

 

これは名越が「自分と他人の境界線を区別する能力を失った」ことを示しています。

彼はホムンクルスが見える能力を通して、自分を深く知るためには他人の視点が必要で、その逆も同じであることを理解しました。

 

「見えているものは全て自分自身であり、それ以外は決して見えない」ことに気づき・・

結果的に、全ての存在が自分自身の延長だと再認識しました。

この状態は、いわゆる「悟り」と呼ばれるものです。

 

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名越は街を歩くたくさんの自分自身を見つめ、こう言いました。

「ここは天国か?」

 

「それとも地獄か?」

 

普通の人間は、自分とは身体と心だけだと信じています。

しかし、実は自分とは「他人を含めた世界全ての存在」なのだと心の底から理解した時、悩みは消えます。これが悟りです。

(と私は聞きました)

 

 

それなのに、名越は苦しみ続けます。

悟りというのは、苦しみが消えた状態のことなのに、、なぜでしょうか?

 

ラストシーンの海辺にて、度重なるトレパネーションで穴だらけになった頭を晒しつつ、名越は伊藤こう言います。

 

「あの”ななこ”とかいう女は、俺を見させるには使い物にならなかった」

 

「もう他人を見てばかりは疲れた。ちょうど、俺を見てくれる人間を探していたんだ。いや、ずっと探しているんだ」

 

「俺を見てくれ。俺も見てやるから」

 

これはいわゆる魔境(マキョウ)と呼ばれる状態です。

ざっくり言えば「中途半端に悟ってしまったせいで、かえって苦しんでる症状」のことです。

 

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名越はトレパネーションで芽生えた第六感をコントロール出来るようになった後も、自分を見てくれる人物を探し続けていました。

彼は「他人に理解されたい」という願望を捨てられずにいました。

表面的な顔や言葉でのコミュニケーションではなく、心のふかい部分を理解してくれる人物を、求め続けていたのです。

 

 

求め続けて苦しむ。

これは「悟り」とは真逆の状態です。

ようするに名越は、悟るほんの少し手前で・・足を踏み外してしまったのです。

 

精神分析には限界がある

精神分析の草分けであるフロイトやユングやアドラーには、一つの共通点があります。

それは自らが神経症に陥った後に、他者の助けを得て克服した経歴です。つまりは、

 

「自分自身を見つめるためには、必ず他人というカガミが必要」

という強烈な経験です。

 

名越も似た経過をたどります。途中までは。

名越はホムンクルスが見えるようなって以来、「他人に見える歪みは、自分自身の歪みでもある」と理解した結果として、その歪みを解決しようと突っ走ります。

 

・伊藤の歪みを突き止めるために、全財産を衣装代に使っう

・見よう見まねで、自分にトレパネーション手術をする

・右目を塗って閉じ、ホムンクルスしか見えなくする

 

どれも正気の沙汰ではありません。

 

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しかし、死にもの狂いで他人を理解しようと努めたかに見える名越も、結局のところ、動機は自分本位のものでした。

ただ「自分を知りたい、誰かに知ってほしい」という、ある意味で幼稚な感情から脱却できなかったのです。

 

だから名越は、全くの別人である”ななみ”という女性に、元カノである”ななこ”を演じるように押し付けました。

反対にななみのほうも、元カレ”さとし”を名越に投影していました。

お互いに自分の願望を相手に投影していただけで、「そのままの相手を見よう」とは、最後まで思えなかったのです。

 

ハッピーエンドに向かうための条件

もし名越が「相手を見よう」とか「自分を見てほしい」ではなく、

「どうあがいても、自分のことも相手のことも理解しきるのはムリだけれど、別にそれでいいや!」

 

と前向きにあきらめることができたなら・・

相手を分析して理解することではなく、そのままで信頼することができたなら・・・

 

名越もななこも、別の人生送れたのではないでしょうか。

結局の所、自分自身や他人を完璧に理解することはムリです。

世界とはそういうものだからです。

 

その限界を知った上で、あるがままでいいのだと力抜けたならば、「魔境」から脱出して、生きている実感を取り戻せたはずです。

 

悟りとは全てを理解することではありません。

理解できなくても、そのままでいいと思えるリラックス状態のことです。

 

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例えば伊藤のように、性同一性障害を受け入れた上で、前向きに生きようとする姿勢のことです。

伊東は名越のおかげで自分を取り戻せたのに対して、名越は伊藤からトレパネーションを持ちかけられたことで、それまで以上に脱線してしまいました。

 

だから伊藤は最終話にて、

 

「ごめんなさい。全て私が悪いの」

 

と泣きながら謝るしかなかったのです。

 

伊藤が名越に指摘したように、名越はホムンクルスが見える能力に溺れてしまいました。

「自分は見てやったんだ」というおごりが、他人のホムンクルスを吸収してしまった原因です。

それが命取りになりました。

 

 

まぁ名越は逮捕されただけで、死んだわけではないので、適切な治療を受ければ回復できる可能性があります。

もしホムンクルスに続編があれば、伊藤が名越を治すために駆けずり回るお話になるでしょう。

 

まとめ

 

ホムンクルスは解釈の難しい作品です。

「深淵を見つめ過ぎたせいで、逆に深淵にはまってしまった男の話」

というのが一般的な解釈でしょう。

 

人間の心が奥が深いので、切り刻んで理解しようとすることではなく、

「相手が理解できなくても、間違ったことをしていても、信じて愛してあげること」

というのが、作品から学べる教訓ではないでしょうか。

 

まもなく公開される映画版では、そこに新たな解釈が加えられることを楽しみにしています。

 

 

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コメント

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