納棺式が美しいのではなく、ふだん死を無視してきたのがダサいだけ

葬式について
この記事は約14分で読めます。

納棺式(ノウカンシキ)の真の価値についての記事です。

 

ご家族が亡くなった際に納棺式をすることがあれば、その前後にお読みいただけると幸いです。

より納棺式の価値が理解できるはずです。素晴らしい弔いができると思います。

 

結論から言えば、納棺式はする必要がありません。

「気づかぬ内に、毎日していたのだ!」と気づかせるための儀式だからです。

何気ない日常の意味を再発見するための、素晴らしい仕組みだからです。

 

 

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納棺師という仕事が、映画「おくりびと」で世に知られるようになって久しいです。

 

彼ら彼女らの仕事は、納棺式と呼ばれています。

ご遺体に死装束を着せたり、カンオケにやさしく移動させたりする儀式です。

「おくりびと」のように納棺師が一人でこなすのを遺族が眺めるか、ご遺族と共同で行うスタイルが一般的です。

 

この姿が絵になるものだから「おくりびと」という素晴らしい映画が産まれました。

納棺式はご遺族へのサービスとして販売され、新しい弔い文化として定着しました。

めでたしめでたし。

 

 

・・というのは違うだろ!

と私は思います。

 

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なぜなら、納棺式は必要以上に美化されているからです。

言葉は悪いですが、感動ポルノとして販売されている側面すらあります。

 

だっておかしいじゃないですか。

「ご遺体の納棺作業を通して、死を実感して別れの気持ちを整える」

だなんて。

「ご遺体に触れることで、死への忌避感が薄れた。安心してお見送りができた」

だなんて。

 

なぜなら、納棺式なら毎日しているからです。

食事という形で、肉体というカンオケに、誰もが毎日ご遺体を扱っているからです。

 

なぜピンとこないかと言えば、食材がご遺体であることを忘れているからです。

いや、知っているけど無視しているからです。

 

お弁当を作るのは、一種の納棺式です。

カンヅメを開けるのも、一種の”逆”納棺式です。

 

やってることは全く同じです。

目的のためにご遺体を整えて箱にしまう。

あとはそこに意味を見出すか否か?だけの違いです。

 

もし納棺式に感動したのに、この現実に気づいてないとしたら、死というものを全く理解していないことの証です。

 

 

生物はいつか死に、肉体は朽ち果てます。

火で焼かれて千の風になったり、他の生物に食べられたりして、世界を循環していきます。

 

それを深く理解する手助けをすることが、納棺式の目的です。

葬儀や弔いが目指す、最大の目的です。

 

 

つまり、納棺式なんてやる必要がなかったのです。

普段からやってますからね。

 

その現実に無自覚だからこそ、納棺式が(必要以上に)美しく見えてしまったのです。

(お花入れの絵ですが、まぁ似たようなものです)

 

 

でも大丈夫です。

現実を正しく認識すれば、気持ちいい弔いができます。

 

そして毎日の食事が、そのまま納棺式に変わります。

特定の故人だけを弔うためではなく、あらゆる生命を一律に弔うための儀式になります。

 

 

そう感じる頃には、もうお気づきのはずです。

 

「納棺式が美しいのではなく、ふだん死を無視してきたのがダサいだけ」であったことを。

納棺師たち本当に伝えたかった、「死をより深く理解する」という意味を。

 

 

 

釘打ちの時間です

 

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