仏像はガラクタです。
いや、それは言い過ぎですね。
美術品としての価値はあります。しかし信仰の対象にはなりまえせん。
仏像にはなんの魔力も神仏も宿っていません。拝んでもご利益はありません。
そして何を隠そう、寺院サイドもそれをわかった上で仏像を活用しています。
仏像はただの商売道具です。
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仏像はただのお人形
仏像が昔からたんなる「モノ」であったことを示すエピソードがあります。
アニメ「一休さん」のモデルとして知られる、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)氏の逸話です。
ある日一休さんは、知人のとある僧侶が留守の際に、居間に忍び込んで仏像をまくらにして昼寝をしていたそうです。
知人が帰宅してその様子を見ると、
「俺の商売道具に何をする!」
と言って二人で大笑いしたのだとか。
はっきり言っちゃってますね。
「商売道具」
だと。
まくらに使ったことを咎めるはずもありません。
おそらく「仏像をまくらにする」行為は、一休さん流のジョークだったのでしょう。
あるいは、知人の僧侶としての素質を試したのかもしれません。
まぁどちらであっても、仏像はただのモノです。
しかし仏像を見ると、なんとなく拝んでいる方が多いのではないでしょうか?
よくわからないし、興味もないけれど、なんだか拝んだほうが良い気がする。
有名な神社仏閣に行けば、金ピカの仏像を拝んでは、なんかトクした気分になる。
この根強い習性は、一体どこからくるのでしょうか?
偶像崇拝はカネになる
いわゆる偶像崇拝と呼ばれるこの現象、とにかく根強いものがあります。
古今東西、途切れることなく現代まで続いています。
だからこそ、偶像崇拝を商売に組み込むと、カンタンに稼げてしまうのです。
これが仏像の存在理由です。
いや、仏像を作ったアーティストたちは、ひたすら純粋な気持ちで作品を作ったのでしょう。他の文化遺産と同じように。
しかし、現代社会で仏像が運用される理由は、たいていがビジネスです。
低俗なビジネスに成り下がってしまっています。
別に仏像を拝んだところで害はありません。
お賽銭を入れたり、観光寺にお金を落としても害はありません。
その代わり、なんのご利益もありませんが。
ただ寺に収入が入るだけです。
寺にしてみれば、それっぽく仏像と賽銭箱をおくだけの自動販売機なのですから。
適当な仏像を金ピカに彩って、大切なものような雰囲気を作って、由緒あるっぽい解説でもつけておけばOKです。
あとは無知な大衆が勝手に拝んで、勝手にお金を払ってくれるから。
私なら、こんなバカげたものにお金を使うのはイヤです。
わかっていながら詐欺にかかる人はいないはず。
しかし仏像による洗脳ビジネスは、限りなくそれに近い構造です。
偶像ではなく現実にお金を使おう
もし神仏からのご利益が欲しいなら、もう偶像にお金を払うのはやめてください。
なんの意味もありませんし、アホな寺院が儲かるだけです。悪徳企業を太らせるようなものです。
そのお金を、どうか他人のために使って下さい。
分野は何でも構わないので、今生きている誰かのためになるような使い方をして下さい。
もし神仏を加護を与えるとすれば、きっとそんな人物を選ぶはずです。
そもそも、寺で坊さんがやっている説法では、だいたいそんな話をしているはずです。
この考えを実践している例を紹介します。
2021/4/11 BCC フィリップ殿下の葬儀は17日に、国内で黙とうへ=英王室
さすがは英国王。
国民のことを考え、死後にまで影響力が及ぶように働きかけていらっしゃる。
カッコよく気高い死に方です。私もいつか、こんなふうにこの世を去りたい。
遠く日本からご冥福を祈ります。
え?
無知な大衆を操作して仏像を拝ませて、お金を払わせようとする人たちはどう思うかって?
言わずもがなですね。
まとめ
カンタンにまとめると、
金ピカの仏像ビジネスはクソです。上っつらに騙されないでください。
私は宗教や芸術にはできる限りの敬意を示します。
宗教そのもの、仏像そのものは素晴らしい。
人間がこの世を生きるすべての理由が、宗教と芸術には詰まっていると思います。
だがそれを悪用した洗脳ビジネス、てめーはダメだ。
クソみたいな洗脳に惑わされる人が、一人でも減りますように。
真っ当な宗教や善意の輪が、より多くこの世に広がりますように。
押すとご利益アリ
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