ネットリンチで犯罪者を吊るし上げるなら、更生まで考慮した上でやれ

時事ネタ
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凶悪な少年犯罪が起きると、加害者を特定し、個人情報がネットに溢れるのは日常茶飯事となりました。

2021/4/22 NKH NEWS 女子中学生の死亡 報道受け “いじめ”調査へ 北海道 旭川

 

が、結論から言えば、

「人が人を裁くには限界があるので、最終的には神に任せる他ない」

 

という話をします。

 

それ以外の選択肢では、かならず遺恨が残ります。そして根本的な解決に至りません。

これは信仰の強制というより、人間の限界によるものです。

 

しかし念の為に申し上げますが、これは加害者を見逃せという話でも、法整備がいらないという暴論でもありません。

また、被害者のご遺族には心からお悔やみを申し上げます。

 

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問題の本質は少年法なのか?

 

大衆の感情を揺さぶる事件が起こると、Twitterなどは地獄絵図になります。

加害者を特定して、本名から顔写真、住所、親の職業まで晒し上げるのは当たり前です。

中には意図的に無関係の人物を晒し、どさくさに紛れて危害を与えようとするケースすらあります。

 

こうしたネットリンチの根本原因であり、少年法の最大の問題とされているのが、

年齢を理由に、加害者が罪を問われない点です。

 

しかし、問題の本質は少年法の性質ではありません。

「故人の責任は、本当に存在するのか?」という根本的な問いです。

(机上の空論と言われそうですが、続けます)

 

①年齢は問題ではない

10歳でも5歳でも殺人を犯す事例は多くあります。

成熟した大人でも、痴呆が進んだ老人でも同じです。

 

したがって、未成年だから裁かれないことは、根本的な問題ではありません。

そもそも論として、人に責任能力が備わるタイミング(年齢)と、失われる時期(年齢や病気)を特定する手段がないのが問題です。

 

だからといって、どんな若年者にも刑罰を与えるのは残酷です。

きちんと反省して更生する人は多いですし、やみくもに罰を与えることが、長期的な解決に有効とは限らないからです。

 

つまり、どんなにがんばっても適切な裁きを与えるには限界があります。

どこかで妥協する以外に仕方ないのです。

というより、人間による裁きの限界を知り、その後のことは神さまにでもに任せるしかありません。

 

もし神を信じられるなら、それでOK。

信じられないとしても、どのみち妥協は必須です。完璧にはなりえません。

 

②正義は誰にもわからない

 

そもそも正義とは何なのか?

結論がでないからこそ、法律が定められました。

よって法を超越したネットリンチをするなら、そこに正義は存在しえません。

 

ネットリンチは正義感で実行されますが、その正義には一切客観性がないこと、どうか忘れないで下さい。

被害者が遺族に報いたいとか、法律を変えるのが難しいなら、社会を変えるには最適な手段だ!

という気持ちは理解します。

 

 

でも、薄々気づいているのでは?

本当に怒りをぶつける先は事件の関係者ではなく、市民の声が法案に届かない政治であるのだと。

こっちを変えられれば、より多くの人を救うことができます。

 

感情にまかせてネットリンチに走るよりも、ずっと建設的ではないでしょうか?

そのために政治が炎上するのは結構なことです。

民主主義の本来あるべき姿なんですから。

 

③復習を済ませた後、気持ちはどこへ向かう?

 

感情に任せてネットリンチをして、加害者が社会的制裁を受ければ満足するのですか?

いい気味だと思うのですか?

その後長い時間をかけて、加害者サイドにも更生する権利があることを考慮していますか?

 

異分子を抹殺するだけでは、長期的な解決にはなりません。

人は過ちを犯すこと、冤罪の可能性があること、いつかは反省する可能性があると信じられないなら、血を血で洗い続けるだけです。

 

 

もし被害者の冥福を祈るなら、、、

(要するに死後の生命や、超法的な罪や罰を信じているのであれば)

加害者にもチャンスを残してあげて下さい。

たとえ死刑や無期懲役に処すとしても、その後があることを信じてあげて下さい。

 

もしそれができないなら、ネットリンチはただの八つ当たりでしかありません。

被害者へ祈る追悼もウソになります。なぜなら死後の世界などないと思っている証拠ですから。

現世で救いきれない人間のために、宗教という文化は存在しています。

 

人が人をさばく限界を知り、人間は愚かで不自由な存在だと思い出し、いつか許す前提で裁くようにしてください。

 

 

まとめ

 

一言で言えば、

「罪を憎んで人を憎まず」

を忘れないで欲しいと、ネットリンチをする方々には思います。

 

その人を罰して終わりではありません。

悪人を吊し上げて、いい気分になっても解決しません。

遺族も報われないし、加害者の更生にも寄与しません。

 

誰だって過ちは犯すし、人が人を完璧にさばくことなどできません。

死んでしまった被害者を救いたいなら、そこには宗教的な要素が不可欠です。

そして宗教であれば、どんな加害者であっても、決して見捨てることはありません。

 

 

第一、私たちに正義を語る資格があるのか疑問です。

動植物を殺して食べないと生きていけない、哀れな吸血鬼の一人として思います。

一生ホロコーストを続けるしかない宿命なのに、他者を裁こうとするサイコパスの一人として思います。

 

 

 

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