ハスキー犬の虐待は同情され、オオカミの政治的駆除は無視される闇。

動物との付き合い方
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ノルウェー政府が国内の野生オオカミを駆除するそうです。

なんとその数、ほぼ全部!

この話は複雑かつ根深い感情のもつれがあって、捕鯨問題と通ずるものがあります。

Yahoo Japan  News ノルウェーで生息する野生オオカミの9割、56頭中50頭を射殺へ? WWFが国を訴える 2017/11/9

この200年間、人を襲った事例はないけれど、家畜のヒツジやペットの犬に被害が出るから、というのが表面的な理由なのですが・・・

 

【あらまし】

・ノルウェーのオオカミ問題は、環境保護や動物愛護とは別の政治的な戦いだ。
・捕鯨問題と同じで、正義VS正義の文化を超えた押し付け合いである。
・オオカミの都合は?と誰も突っ込まない不気味さ。

 

この話では、野生動物と人間社会の共存や、動物の正当な権利を守る、という観点で揉めているわけではありません。

まして可愛いオオカミを国家が殺すなんて!みたいな話でもありません。

 

これは地方と都会の政治的な闘争です。支配するか、されるかのせめぎあい。

ぶっちゃけオオカミはどうでもいい。いや、これは言い過ぎか。

 

さまざまな経緯があり、オオカミ問題は地方と都市部の対立のシンボルになってしまったのだとか。ノルウェーの状況については丁寧な解説は、リンク先に譲ります。

Yahoo Japan News  ノルウェーで歓迎されない野生オオカミ殺処分で国民や政治家が喧嘩中 2017/2/3

Yahoo Japan News  闇が深いオオカミ議論/68頭のみの野生の70%を射殺へ。ノルウェー国会が許可、波紋を広げる 2016/9/21

 

 

 

結局は、「地方の暮らしを都市の偉い人が決めるな!」という地方の怒りを代弁するのに、オオカミ問題が便乗されているみたいです。

部外者が勝手にルールを決めるな。勝手に支配してくれるなと。まるで捕鯨問題です。

こうなると答えは簡単ではありません。答えのない感情がエネルギー源ですから。当事者のオオカミたちは、もはや蚊帳の外。

ぶっちゃけ、くじらもオオカミも呼び水に過ぎず、本当の目的は別にありです。もちろん環境保護や動物愛護に本気で取り組んでいる団体もあるけれど、いかんせん影響力が弱い。

だから影響力はあっても関心を持たれにくい政治団体と利用しあうことになるのです。日本の政党がタレント議員を擁立するのと同じ。

 

日本の捕鯨問題でも、クジラは種類を限定し絶滅の恐れのない範囲で捕獲しており、IWCの定めた法の範囲で運営されていました。

それでも諸外国の反発が根強いのは、クジラが環境保護を象徴する、神聖な生き物に祭り上げられたから、という背景があります。

 

オオカミは神聖じゃないから、特に問題視されません。見た目はハスキー犬とそっくりなのに、愛犬家たちも気にしていないようです。

悲しいかな、もしこれが野犬化したハスキー犬の群れだったとしたら、世界中の動物保護団体が騒いだでしょうに。まぁその場合でも、犬だけ特別視する大義はないんですけれど。

 

 

インド人が外国に「牛を食べるな!」と言っているのを見たことがありません。(国内では揉めてるみたいだけど)

しかし、「クジラを食べるな!」との主張は国や文化を超えて、国際法のもとに強制されゆく可能性があります。国際会議は多数決で決まってしまうからです。

日本は捕鯨をやめることの経済的なダメージよりも、自国の文化について、不当な介入を認めないために、戦ってきたという側面があります。だってクジラなんて、今時ほとんど食べないでしょう。消費量としても肉全体の0.1%くらいだそうで。

真の目的は、捕鯨文化とクジラの持続的利用にとどまらず、国の文化的な自立を守ることです。これは他の捕鯨国も同じです。

 

 

最終的には、世界は暴力で支配したものが正義でした。これまでずっと。

オオカミ問題も、捕鯨問題も、人種差別も、スクールカーストも、ママカーストも、煮詰めていけば全ては闘争です。人間が他の生物の肉を食べることなんて、言わずもがな。

「誰かに自分の言うことを聞かせるため、支配するため。」そして「その理不尽な要求はねのけて、支配をうけないため」

と同じ資源をめぐって争わざるおえない、生物的な対立に帰着します。

 

 

 

ちょっと視点を変えてみましょう。

そもそもクジラもオオカミも人間もみんな生き物です。つまり肉です。

強い国と弱い国があるように、繁栄したニクと絶滅しかかっているニクがあります。食べていい肉と食べちゃダメな肉があります。

私たちがこの世から消える100年後、1000年後には、どの種の肉が、どんな形で存在しているのでしょうか?そして、そこに善悪はあるのでしょうか?

 

私たちの身体は肉に過ぎず、肉は細胞のかたまりに過ぎず、細胞は遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子は原子の組み合わせに過ぎず、その設計者は誰にもわかりません。

では原子たちにノルウェーの原子とか、オオカミのやクジラの原子なんて区別があるでしょうか。区別があるとしたら、それは人間が決めた思いこみだけでは?

 

つまり私たちが世界を生きているのではなく、肉や遺伝子であるなにかが、私たちを生きているのでは?

命の正体は謎ですが、それはいつも目の前にあります。というか、肉を通してしか世界に在ることができません。そんな不思議な世界に、ずっとわたしたちは生きてきました。

 

 

ところで、「ダルビッシュを人種差別するな!」はすんなりと解決したようです。彼の姿勢を見習わなければ。

2017/10/28 The answer 【MLB】ダルビッシュ、自身の人種差別騒動にメッセージ「批判するより教育に注力すべき」2017/10/28

同じヒトの間でも差別が減りませんからね。とにかく教育と周知です。

 

 

 

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