実は大人への皮肉である「もしもシャケの切り身が泳いでいたら?」

近頃の子供達は、海には切り身が泳いでいると思ってるそうです。

ぜんぶKIRI〇ちゃんがカワイイせいだ。

うん。面白い!子どもたちのリアクションも可愛らしいです。

この取り組みは絵的なシュールさも手伝って、多くの人に驚きを与えました。最近の子どもはそんなことも知らないのか!?すごい時代になったものだ。なんつって。

そんなコメントで溢れた記事を見て、私は背筋が凍りました。

大人も大差ないじゃん。牛、豚、ニワトリを捌くのを気味悪がってるじゃん。

子どもと違って知ってるくせに。

これは子供向けではない。大人へのメッセージだ

子どもたちは単に知らなかっただけです。

泳いでる魚と食べる魚では見た目が違いますから、教えられるまでわかりっこない。

魚に触れる機会が乏しくなったので、都会っ子なら仕方ありません。

対して大人たちは全て知っています。知識としては。

レディ・ガ〇みたいな肉のドレスが牧場で草をはんでいたり、砂肝の串焼きがコケコッコーと朝を告げたりはしないと知っています。

普段食べてる食材が元はどんな姿だったか、きちんと知っています。

大人の場合、知ってるくせに直視できないという、更に厄介な状態です

うやむやにしたまま肉を消費したり、食べ残して廃棄することには、全く抵抗がなかったりもします。

大人たちの現状

食材がMOTTAINAIとか、感謝を持てと言いたいのではなく、態度の矛盾を棚に上げないで欲しいのです。やっていることに自覚があれば、気味の悪さはなくなります。具体的な例を挙げれば・・・

トンカツを食べながらベイブ※1を見泣けることです。

ファインディング・ニモ※2を観た後、展示された実物のカクレクマノミを見て、「カワイイから飼おう!」と言えることです。

※1 牧羊犬ならぬ牧羊豚が活躍する映画。

※2 人間にさらわれた熱帯魚を、大冒険の末に救い出すストーリー。

いや別にいいんですよ?

人間以外の生き物なんて、利用価値でしか判断しないから、どうなろうが構わない。汚れ仕事は他人にやってもらって、自分は“おいしいところ”だけもっていければいい。

犬や猫などのペットも可愛いうちは可愛がるけど、世話が面倒になったらぶっちゃけ捨てたい。ジャマだから。

と潔く認めているのであれば。

でも、そこまで割り切れてる方は少ないですよね?ということは、矛盾を心の奥に抱えたまま過ごしているわけです。

何気なく肉を食べたり、革製品を使ってきたけど、生き物の無駄な殺生は好きではない。美味しい肉を手ごろな値段で買いたいから、経済的な方法(泣)で生産してもらわなきゃ困る。

動物は人間にとって都合のいい姿だけを見せてくれればいい。都合の悪い部分は・・・だれかやっといて。

大人たちへの処方箋

矛盾してるのはわかっているけど、どうしていいかわからない。別に今のままでも困らないし。そもそも自分が生きるだけでも精一杯なのだから。

しかし、それらを理解することは難しくありません。

肉を食べることは、歴史ある人間の文化です。マンモスを追いかけていた時代から続いてきました。現代人にだって出来ないはずがありません。

飼育しているニワトリを時々絞めてみんなで食べるのなんて、今でもやってるご家庭はたくさんあります。魚にしたって釣り人たちは釣りあげた瞬間から食べることを想定した下処理を初めて、後々美味しく頂くのが当たり前です。

つまり現代の子どもたち及び大人たちには、現場経験が足りてないだけなんです。

かくいう私は、20代半ばまでニワトリ一匹絞めたことがありませんでした。

そのくせに、生物の命とはなんなのか?などと考え込むクセがありました。答えは毎日食卓の上にあったというのに。五感をフルに使って、毎日味わっていたというのに。

同じ勘違いを子どもたちにさせたくありません。

冒頭の映像の子どもたちが大人になるまでに、まずは大人たちが示しのつく振る舞いを身につけなければ。

でもどうしたらいいんだろう・・・?

とりあえず今夜は寿司だな。

押さないとMOTTAINAI!

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