披露宴でも喜ばれるマグロの解体ショーが示唆する可能性

食の思い込み
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近所の魚市場でマグロの解体ショーを見ました。

 

「おー!すげー!」と子どもも大人も興味津々です!

捌く工程は普通の魚と同じなのですが、デカいと迫力が違います。

さらに、この後開催されるじゃんけんトーナメントで優勝すれば、中落ちを無料でゲットできるときています。

 

ちなみに私は初戦敗退です。何か? ( ;∀;)

板前さん曰く、大抵は欲のない子どもが勝つのだとか。

・・・薄汚いですが、何か? <`ヘ´>

 

ところで、マグロは公然と解体しても、抵抗感を持たれるどころか喜ばれる数少ない事例です。食べるのが待ち遠しいもんね。

 

【あらまし】

・マグロの解体は好意的に受け止められる。単に慣れてるから。
・ブタや牛を食べるなら生産方法も直視して。マグロならできるんだから。
・何を食べたって、平等に胃袋へ消えていく。

 

70kgのマグロが捌かれて・・・

 

あっという間にお寿司になりました。

肉厚で旨かった。では今回は以上です。ごきげんよう!

 

 

 

 

とやっても何も違和感がありません。もしこれを豚でやったら残酷だとか言われるんでしょうね。マグロくん、君は特別らしい。

 

そういえば、釣ったイカを絞める動画をアップしたら「残酷だ!」と炎上したニュースがありました。どっちも寿司の定番ネタなのに差別されてますね。

そうか、小さいイカだからダメなのか?じゃあダイオウイカで解体ショーすれば解決ですね。フォトジェニックなイカでやれば。結局は見た目とイメージの問題かよ。

 

炎上したイカの件にしても、あらゆる肉の生産方法が隠されがちなのも、現実を観ないで感情的に騒ぐ人が多いせいです。

だから、マグロのように堂々と公開していくのは洗練された文化だと思います。

 

隠すのではなく、単におっぴろげるのでもなく、楽しいショーにするだなんて。考えてみれば絶妙な位置取りじゃないですか。

これを議論の的になる犬やクジラでやれば大問題になるのは目に見えています。でも、なんでマグロはOKなんだろう?

 

良いか悪いかの話ではなく、まずは現実を直視するのがよさそうです。社会の肉に対する認識を次のステップに進めるために、必ず通らなくてはならない道だとしたら。

最初はちょっと抵抗があるけど、きっとすぐに慣れちゃうんですよ。マグロのように。

 

右手で肉を食べて、左手でペットを飼う現代人は、肉は食べたいけど生き物を殺すのは嫌だと思っています。その葛藤をゆっくり解決していくには、まずは現実を直視しないと。

先生、大切なことなので二回言いました。

 

というか、遅かれ早かれそれが当たり前の時代が来ます。隠したままでいいはずがありません。

でも、それが難しいんですよねー。感情が受け入れないから。困ったな。そうだ、当事者に聞いてみよう!

 

<(`肉´)> 「ねぇ胃の中のマグロくん、どうしたらいいかな? いやギョギョギョじゃねえよ。あんたじゃない。」

( ̄鮪 ̄) 「・・・」

 

・・・結局、胃袋に消えたマグロくんとコンタクトはとれませんでした。彼はどこに行ってしまったのか。

 

あの日、魚市場で細切りにされたマグロは私の血肉となりました。しかし、それがどのタイミングで私に同化したのか?どなたか知ってたら教えてください。

なにを食べようと同じことです。マグロだろうがブタだろうが野菜だろうが水だろうが、私と食べ物を隔てる境界線は一体どこにあるのか?それは永遠の謎です。

 

 

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