採血のやさしさの裏側にある残酷さ。身内と他人を隔てる痛みの壁。

健康診断で採血をうけました。

注射で吸い取られた血を見ると、自分も血の通った生物だったことを思い出します。

ところで注射ってとにかく嫌ですよね。一瞬チクッとするだけなのに。実害はないとわかっているのに。痛みは生存を脅かすものだから、本能的に敏感なんでしょうね。

痛みを避けるのは本能です。だから利己的な側面があります。自分とその味方の痛みには敏感だけど、それ以外には驚くほど冷淡です。

したがって、身内と他人の境目をどう決めるかが死線となるのですが・・・。

【あらまし】

・注射は怖いし痛い。でも実は最もやさしい方法だ。
・身内の痛みを極端に避ける人間も、他人の痛みにはどこまでも残酷だ。
・身内の範囲を広げれば痛みの範囲も増える。ならその境界線を見直そう。

医療の半分はやさしさでできています。例えば採血。ちょっと血を採るだけなのに、痛みや不快感を徹底的に減らすように設計されています。

まず体調を確認して、皮膚を消毒して、滅菌された細い注射針を丁寧に挿して、神経に痛みがないかを聞いて、終わったら止血して、万が一気分が悪くなった時の対処法まで教えてくれて、それを全部訓練されたプロがやる。すごい徹底ぶりです。

血を採るだけだったら、刃物でスパッとやれば誰でもできるんですよ?なのにここまで入念にやるのは、それだけ人間が痛みを嫌うからです。バイ菌の感染が嫌だからです。それに応える医療とは、なんとやさしいことか。

もし乱暴な処置を受けたら、その病院には誰もいかなくなります。多くの人に支持されるにはやさしさが大事なんです。痛みを感じない注射針なんてものも開発されるくらい、人間は痛みを避けることに熱心です。

しかしこのやさしさには恐ろしい裏の顔があります。優しくする範囲から外れた相手にはどこまでも冷たいのです。

つまり身内の擦り傷は心配するけど、部外者の拷問には興味がないのです。

そして「身内」の定義は人それぞれです。基本的には自分に都合のいい相手。あとは状況と気分次第です。

・この子は何があっても育てぬくわ!でも再婚相手の連れ子はジャマだから冷遇しよ。

・アーリア人のために理想の国家を作るぞ!ユダヤ人はみんな殺す!

・家の猫ちゃんが幸せに生きるためなら、ネズミや小鳥の犠牲は仕方ないわ。

・最近ペットのハムスターの元気がなくて心配だ。そういえば、台所にいたあのドブネズミはまだ罠にかかっていないのかい?

・クジラを食べるのはすぐにやめろ!そして我々からカンガルーや原住民は殺す権利を奪うな!

・人がケガするのなんて見たくない。でも派手なKOシーンが見たい。だからボクシング選手がヘッドギアを付けるなんて興覚めだ。もっと派手にブッ倒れろ!

枚挙にいとまがありません。

そして矛盾に気づいていても、どうやっても解決できない領域があります。

一部だけを愛するやさしさは残酷さを孕み、全てを愛する博愛は限界にぶち当たります。

本当に苦しみたくなければ、サイコパスになるしかありません。自分以外は全て道具で、いくら苦しめても構わないと心の底から思えないと。しかしそれができない人間は、みな矛盾を抱えたまま生きています。ペットを飼ったり肉を食べたりしながら。

私は採血を受けた時、ちょっとした痛みで頭がいっぱいになりました。その後失った血を取り戻そうと鶏肉を食べた時、それは大きな痛みと引き換えに手に入れた食材であったことを改めて意識できました。

でも彼らの痛みや苦しみに想いを寄せたところで何が変わるのでしょうか?罪悪感や無力感から解放されるのでしょうか?

冷静に見つめれば、これらの反応は全て思い込みによるものです。

人の幸福を大きく左右する「善悪や快不快の感覚」はどれも、根拠なき思い込みによって左右されているのが現実です。どんな物事にも固定の価値はなく、与える意味や受け取る価値にも実体がないとしたら、すべては思い込みの一人相撲に過ぎません。

だったら全て変えられる筈です。余計な思い込みから手を離せばいいのだから。ただ手を離すだけです。

その時、私とあなたを隔てる「痛み」という壁が消えます。

押しても痛くない。

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