クリスマスって本来は、イエスのお誕生日会ですよね。
じゃあ主役のイエスさまはどこいった?ロウソクを吹き消してー。
でも待ってください。イエスは三位一体の存在で、神=イエスらしいです。
なら神の誕生日?変な感じだな。
そもそも、なんで日本人はクリスマスを祝ってるんでしょう?つーか三位一体って何?
それならば、来年からはそいつを理解した上でクリスマスを楽しもうじゃありませんか。そこで「三位一体」について、素人なりに勉強してみました。
【あらまし】
・三位一体とはクリスマスディナーとニワトリの関係だ。
・しかし、ニワトリの命と他の命の間に境界線が見つからない。
・クリスマスを祝う理由は、神=ニワトリだから。
「三位一体」をデジタル大辞泉で調べると、
1.キリスト教で、父(神)・子(キリスト)・聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理。
2.三者が本質的に全く同一であるということ。
3.三つのものが一つになること。また、三者が心を合わせること。
わけがわかりません。聖霊ってなんだよ。この説明で分かる人いるんでしょうか。
気になって調べてみたら、キリスト教の偉い人達でもよくわからないそうです。人間には理解しきれないと断言する聖職者も多いとか。
仕方がないので、私なりに仮説を妄想してみます。
2.に注目すると、
2.三者が本質的に全く同一であるということ。
とあります。これをクリスマスディナーで説明してみましょう。
クリスマスには、フライドチキンとクリスマスケーキがよく食べられます。これは全部ニワトリです。
ニワトリ=フライドチキン=クリスマスケーキ(のスポンジの原料の卵)
見た目も味もまるで違うけれど、全てニワトリが原料です。もともと一つであったニワトリが、三つの姿となって現れたもので、元来は一体です。
でもその理屈で突き詰めたら、世界は全部ニワトリになってしまいます。なぜなら、「ニワトリ」と「ニワトリでないもの」を隔てる境界線が曖昧だからです。
ニワトリがいつ生まれ、いつ死んでフライドチキンになって、いつ食べられて人間の命と融合したのか?明確な境目が誰にもわからないからです。
ところで神の代理人ことカトリックの神父たちは、命の始まりは受精の瞬間だと言います。
これはカトリックの公式見解らしく、受精卵から作るES細胞なんかの活用や堕胎に反対する理由にもなっています。
でも受精するまで命ではないとしたら、単体の卵子と精子は命ではなく単なる細胞だと?受精する前から立派に活動しているじゃないですか。
じゃあ細胞一つ一つを命とすれば解決でしょうか?
いいえ。その細胞に命が吹き込まれる瞬間がみつかりません。
単為生殖やクローン技術の例もあるし、物質と生命を隔てる壁はあるようで実はないのだとしたら・・・?
これはニワトリに限らずあらゆる生物に該当します。全ての生物は独立して存在できず、相互に影響を与えあってはじめて成り立っています。
マクロに俯瞰してもミクロに目を凝らしても、命は見つかりません。
よって「世界はニワトリで出来ている」に違いありません。
おそらく全ての素粒子は、極小のひも状のニワトリで構成されているのです。これを超ニワトリ論と名付けましょう。
いっそ「ニワトリ=神さま」って汎神論を打ち立てたらどうでしょうか。
そしたらみんなクリスマスを祝う理由に興味が持てます。なぜなら・・・
一般人にとっては、信仰よりもクリスマスディナーのほうが大事だから。
イエス=ニワトリ=神 で、もういいじゃん。
イエスが先か、ニワトリが先か。
聖書も書き換えなければいけませんね。
イエス・キリストが言った。
<(`鶏´)> イエス・ニワトリが言った。
そのうちフライドチキンも喋りだします。
今日はクリスマス。家族の団欒の時間に、美味しいフライドチキンに噛みつくと・・
<(`鶏´)> 「私だ。」
(;´・ω・) 「お前だったのか。全然気づかなかった。」
<(`鶏´)> 「また騙されたな。」
そう、神はいつもすぐそこにいます。
神を探して見つけた人はいないけれど、神から離れる方法を見つけた人も存在しません。
決して言葉では説明できないもの。人間には理解できないもの。あらゆる認識が生まれる前にすでにそこにあったもの。
それがニワトリです。
じゃなかった。神です。
これは三位一体論とは違うのでしょうが、よく似た神聖な概念かもですね。梵我一如とかね。
うん。酔っぱらった素人にしてはよく書けた。
アーメン。
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