生命は不可算名詞であることを、ハンバーガーを使って説明する。

マックでハンバーガーを買ってきました。

こいつをテーマに、生命はどう数えるべきかを考えます。

さて、この写真にハンバーガーは何個映っていると思いますか?

そうですね。1つですね。

次は?

0個と感じる方が多いのでは?

分解してしまえば、パンが二切れ、パティが一つ、レタス、トマト、と見えます。ハンバーガーは消えたものの、まだ頭の中で再構築できる範囲です。

次はいかがでしょう?

徐々に数えるのが難しくなってきました。

更に細かく分解したり、材料をかき混ぜたりしたら、もはやハンバーガーは跡形もなく消えます。

ハンバーガーの本質は「肉がパンに挟まった状態」を指すようで、同じモノであっても分解すれば別物と認識されます。つまり物体の本質ではなく、頭の中にある認識を数えているのです。

パティはひき肉の集合体です。肉は材料の状態だと、ひき肉100gなどと不可算名詞として重さで表現されることが多い。しかし新たな定義を与えれば、可算名詞としてカウントすることもできます。パティが1枚、ささみが1切れ、手羽先が2本など。

つまり判別できる程度にわかりやすい見た目を定義できれば、数えることも可能となるのです。では肉は可算名詞と不可算名詞、一体どちらなのでしょうか。要するに、どこに境目を設け、どう定義するかという問題です。

そんなのどっちでもいいじゃん?確かにそうですね。

では、少し視点を変えてみます。

肉はかつて生命だったものです。可愛い動物たちの身体そのものであり、私たちの手足やお腹についているものです。肉≒命と強引に置き換えてみると・・・あれ?

生命は可算名詞と不可算名詞、一体どちらなのか?

「私の命」とか「犬が3匹」とかって命を数えてるけど、それは適切なのでしょうか?

数えるか数えぬか、それが問題です。ためしに私がハンバーガーを食べた過程を辿ってみると・・・

牛が1頭 → 牛肉が100kg → ひき肉が200g → パティが1枚 → ハンバーグが1個 → それた食べた私が1人。と数えることができます。

1頭の牛が死に、不可算名詞の肉となり、1つのハンバーガーを経て、1人の人間の命と融合しました。1つになりました。一般的な感覚では、こう数えると思います。

もちろん、牛を殺さずに肉だけを切り出すことだって可能です(!)しっぽだけを天敵に食べられたトカゲみたいに。その場合は、命の総数は変わらないまま、肉だけが命の間を移動したことになります。余計にめんどくさい。

もし今私が死ねば、途端に私は肉と見なされます。きっとウジ虫が私を食べ、後に孵化したハエをカエルが食べたりするでしょう。

人間が1人 → 人肉が65㎏ → ウジが1000匹 → ハエが1000匹孵化 → ハエを食べるカエルが100匹 → カエルの肉※が1kg → カエルのソテーが10皿 → それを食べる誰かが1人。

※カエルを食材とする国は多く、日本でも食べられます。

人が命を落とし肉となり、巡りめぐってまた生きた人間に繋がりました。人の肉がハエの命を得て、また人間の肉に戻ってきました。姿を変えながら循環する生命。生と死を行き来しながら、存在し続ける肉。

それをどう数えたらよいか?それはひとえに定義の問題です。

生命の定義はハンバーガーのように曖昧では困まります。なのに答えがありません。

例えば脳死や中絶の問題では、どの段階から人間として扱うか、扱わないかが問われ、万人が納得する答えはまだ出ていません。出ていないからこそ、本人や家族の意思が重要視されます。保険証の裏にサイン欄がありますからね。

意識しようがしまいが、肉を食べることはその問いへ答えを出す行為。

肉を数えることは、何が死で何が生かの定義を与えることに他なりません。肉に限った話ではなく、野菜にしても同じです。

ちなみに菜食主義にはいくつかの種類があります。獣の肉はNGだけど魚はOKとか、卵と乳製品までOKとか、果物以外は全てNGとか。

その違いは、どこまでが(食べていい)命か?の解釈の違いによるものです。

物質が循環して世界が成り立っている事、食物連鎖の仕組みなどは、誰もが知っています。しかし、それはあくまで知識に留まり、気持ちの面が追い付いていません。私たちに食べられてきた膨大な生き物たちと、彼らが織りなす大きな縁はめったに意識にのぼりません。

それでもなお、毎日それは食卓の上にあります。これまでもこれからも。

万物は流転して諸行無常です。

肉と命の境界線も、ハンバーガーのように実体のない概念です。

つまり生命は不可算名詞なのです。生命の定義をもっと細かくして、生物を細胞の寄せ集めとか、遺伝子が操縦するパワードスーツとして扱っても同じです。細胞=肉ですからね。循環論法になります。だから生命は興味深い。

思うに、「生命とは何か?」というテーマを考えるにあたっては、食事は最高の教材です。感覚器官ををフルに使って、毎日楽しめますからね。

そうそう、写真のハンバーガーは後で美味しく頂きました。切り刻まれて見た目は最悪でも、味はいつも通りでした。

つーかむしろ食べやすかった。口を汚さずに済んだから。

思うにハンバーガーの本質には、背徳感が含まれています。

ジャンクフードを、口を汚しながらかぶりつく・・・この背徳感がプライスレス。アンカウンタブルです。

いっかい、にかい。

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