菜食主義者による肉食逆差別の時代

東京駅構内の某ヴィーガン向けのレストランで夕食。

もっとあちこちにヴィーガン向けのお店ができれば、どんなに嬉しいか。

とんこつラーメンと唐揚げです。しかし完全にヴィーガン仕様。

肉に見えるものは全て大豆ミートです。中々悪くない。

それにしても、材料は大豆なのにわざわざ肉に似せているのは興味深いです。

もちろんお客の間口を広げるためなのはわかっていますが、なんだかんだで人間にとって肉は美味しそうに見えることを、逆説的に証明しています。

似せるのを追求するあまり、将来的にウ〇コ味のカレーのパラドックスに陥らないか、、それだけが心配です。あれは案外真理ですからね。

人間とは不思議なもので、動物の死体は大嫌いだけど料理された肉は大好きです。

スプラッタな体験をすると肉を食べられなくなる反面、ステーキから滴る肉汁にヨダレをたらします。

肉を食べたくない人達のための料理なのに、わざわざ大豆を肉に似せて提供したりします。

それはたぶん、人間にとって肉を食べるのは自然なことだから。

少なくとも悪や罪ではないから。

食事の満足度を最も左右するのは、食べる物体でも味つけでも見ためでもありません。どんな気持ちで食べるかに尽きます。

菜食主義者にしても、

「肉を食べなくても健康的な食事がとれる!」

っていう喜びのソースを無意識のうちに使っているならば、肉食を全否定するわけにはいかないでしょう。

かのマハトマ・ガンジーの自伝によると、彼は若い頃こう考えていました。

「インド人は菜食文化のせいで身体と闘争心が弱いから、イギリス人どもに支配されているのでは?」

「肉を食べれば肉体的にも精神的にも強くなれるかも。支配をはねのけられる筈だ!」

散々迷った挙句、決死の覚悟で一口食べてみたら、すぐに吐いてしまいました。その後厳格な父に泣きながら懺悔したそうです。

「やっぱ自分にとって自然な食事でいいや・・・。」

このように、肉を食べることに努力した人だっているんです。もう何が正しいかなどナンセンス。

肉を食べたくなけど食べざる負えない人がいて、肉を食べたいのに食べられない人もいて、双方に憧れをもっていたりします。面白い。

さらに肉だと思って食べたって、それは大豆かもしれません。

肉まんだと思って食べていたのは、実は段ボールだったのかも

私はこのニュースを聞いたとき、極端な菜食主義者による計画的犯行だったら面白いなと思いました。中国産の悪いイメージに濡れ衣を着せつつ、肉食文化をバカにしたかったのかな?なんて。

「ソーセージの中身は肉屋と神様しか知らない」 ドイツのことわざ

真実よりも気持ち、それが一番大事。

よく偏った動物愛護団体が、肉を食べることを狂ってるとか野蛮だとか言っているけど、それは違います。

絶対に違います。

肉を食べて先人達は生き抜いてきました。食文化を発展させてきました。その過程で間違ったことがたくさんあったとしても、肉食は人間の自然な姿です。

もしそれを悪と見なすなら、真の悪者は神です。人間ではない。

とはいえ、肉は動物を殺すことでしか得られないことを忘れた挙句、思い出した後も見て見ぬふりを続けているとしたら、それは人間の落ち度でしょうね。

それでも間違いを犯すのは仕方ありません。

食文化以外のあらゆる分野にも言えますが、人間が知りうることなどたかが知れています。私たちはわけがわからないままに、今日も生かされているのですから。

だから、肉食を心のどこかで差別してる人は、どうか力を抜いてね。

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コメント

  1. 荻野誠人 より:

    初めまして。ブログ村の「人間・いのち」のジャンルにいる者です。
    私は数年前、自分のブログで肉食肯定・否定について少し書いたことがあります。貴ブログと違い、かじった程度ですが、基本的な考えはやや近いように思います。そこでご挨拶させていただこうと思いました。
    肉に似せた食品についての考察には、おおいに納得しました。
    今後とも良い記事を期待します。それでは失礼します。