満足したヴィーガンであるより不満足な肉食系であるほうがよい

ヴィーガンと肉食
この記事は約4分で読めます。

ヴィーガンや菜食主義者の独善性がウザい?

同感です。

 

何を食べて生きようが自由じゃん。

野菜だけ食べようが、穀物だけ食べようが、毎日ファーストフードを食べ続けようが。

問題は何を食べるかではなく、どのように食べるか?です。

 

大切なのは食べ物の選択に責任を持つことです。それが世界にどんな影響を与えているか理解することです。

何も考えずに食べるのをやめた上で、各々が好きな食生活を選んで尊重しあえれば、それでいいんです。

 

多くの人は肉を食べたいけど動物を殺すのは嫌だと言います。

まるで原発はいらないけどオール電化の家に住みたいと言ってるようなもの。

放射性廃棄物や家畜のやりたくない処理は他人任せ。誰かがやってくれればいいと。

その一方でキャワイイ動物の動画には目がないときています。

 

そいつを自覚して認めさえすれば、問題の半分は解決します。

原発の話とは違って食生活なら今すぐに変えられるんだし。

 

 

 

人間にとって正しい食生活はなにか?善である食事はなにか?

たまに議論されているのを見ますが、そんなものはありません。

どのように食べるか?があるだけです。

理屈でも感情でも答えは導けません。正しいとか間違いとかは存在しません。

 

 

もともと世界に善悪はありませんでした。

どういうわけか生物が生まれ、様々な姿に進化して、互いに食ったり食われたりしながら出来上がったのが世界です。あるがままの世界です。

 

今日私たちが善悪と呼ぶものは、人間が勝手にこしらえたルールに過ぎません。

状況次第でいくらでも変化します。全て人間目線の思い込みだから。

 

だから何が正しいかではなく、

どんな世界にしたいか?つまり

どのように(何を食べて)生きていきたいか?

で答えを出すしかありません。善悪ではなく好みの問題として。

先進国に住む人間にはそれを選べる環境が既にあります。

 

 

肉を食べるのは残酷だって?

→間違いなく残酷です。しかし世界は残酷にできているのだから仕方ありません。

人間だって山で遭難したら共食いをするものです。人間以外の生き物など言わずもがな。

問題は肉を食べるか否かではなく、どのように食べるかです。

 

 

・ヴィーガンはより健康だって?

→個人差が大きすぎてなんとも言えません。少なくとも、人は肉を食べたって健康に生きていけることも確かです。

問題は肉を食べるか否かではなく、どの程度肉を食べるかです。

 

 

・ヴィーガンは環境破壊の対策になるって?

→肉を食べながらでも環境は守れます。昔はそうだったんだから。

飼料や水や土地の有効活用として現実的に有効かも。しかし本質的には無関係です。

問題は肉の生産ではなく、どのように肉を生産するか?です。

 

 

・ヴィーガンが増えると動物に対する残酷な仕打ちが減るって?

→ヴィーガンが増えるとではありません。

「ちゃんと食や命について考える人が増えると」が正確です。

良い猟師はイタズラに動物を苦しめないものですが、しっかり殺して肉を食べます。

問題は殺すことではなく、どのように殺すか?です。

 

 

・ヴィーガンはクールで先進的だって?

→はい論外。

 

 

はっきり言って、ヴィーガンがいいか悪いかなんて話はどうでもいいんです。

もっと深遠で面白い世界が、その背後で発見されるのを待っています。

 

どうかこの先、

ウザいヴィーガンと何も考えてない肉食系の死闘の末に、誠実な肉食系と落ち着いたヴィーガンによる平和が生まれますように。

 

 

「満足した豚より不満足なソクラテスであるほうがよい」

って誰が言ってたけど、結局はどっちも処刑されてるんですよね

どのように処刑されるか、つまりどのように生きるか?

があるだけか。

 

 

 

どのように押すか?などない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

スポンサーリンク  
この記事に対する評価を教えてください
  • とても悪い 
  • とても良い 
  • 良い 
  • ふつう 
  • 悪い 

コメント

タイトルとURLをコピーしました