ヴィーガンや菜食主義者の独善性がウザい?
同感です。
何を食べて生きようが自由じゃん。
野菜だけ食べようが、穀物だけ食べようが、毎日ファーストフードを食べ続けようが。
問題は何を食べるかではなく、どのように食べるか?です。
大切なのは食べ物の選択に責任を持つことです。それが世界にどんな影響を与えているか理解することです。
何も考えずに食べるのをやめた上で、各々が好きな食生活を選んで尊重しあえれば、それでいいんです。
多くの人は肉を食べたいけど動物を殺すのは嫌だと言います。
まるで原発はいらないけどオール電化の家に住みたいと言ってるようなもの。
放射性廃棄物や家畜のやりたくない処理は他人任せ。誰かがやってくれればいいと。
その一方でキャワイイ動物の動画には目がないときています。
そいつを自覚して認めさえすれば、問題の半分は解決します。
原発の話とは違って食生活なら今すぐに変えられるんだし。
人間にとって正しい食生活はなにか?善である食事はなにか?
たまに議論されているのを見ますが、そんなものはありません。
どのように食べるか?があるだけです。
理屈でも感情でも答えは導けません。正しいとか間違いとかは存在しません。
もともと世界に善悪はありませんでした。
どういうわけか生物が生まれ、様々な姿に進化して、互いに食ったり食われたりしながら出来上がったのが世界です。あるがままの世界です。
今日私たちが善悪と呼ぶものは、人間が勝手にこしらえたルールに過ぎません。
状況次第でいくらでも変化します。全て人間目線の思い込みだから。
だから何が正しいかではなく、
どんな世界にしたいか?つまり
どのように(何を食べて)生きていきたいか?
で答えを出すしかありません。善悪ではなく好みの問題として。
先進国に住む人間にはそれを選べる環境が既にあります。
肉を食べるのは残酷だって?
→間違いなく残酷です。しかし世界は残酷にできているのだから仕方ありません。
人間だって山で遭難したら共食いをするものです。人間以外の生き物など言わずもがな。
問題は肉を食べるか否かではなく、どのように食べるかです。
・ヴィーガンはより健康だって?
→個人差が大きすぎてなんとも言えません。少なくとも、人は肉を食べたって健康に生きていけることも確かです。
問題は肉を食べるか否かではなく、どの程度肉を食べるかです。
・ヴィーガンは環境破壊の対策になるって?
→肉を食べながらでも環境は守れます。昔はそうだったんだから。
飼料や水や土地の有効活用として現実的に有効かも。しかし本質的には無関係です。
問題は肉の生産ではなく、どのように肉を生産するか?です。
・ヴィーガンが増えると動物に対する残酷な仕打ちが減るって?
→ヴィーガンが増えるとではありません。
「ちゃんと食や命について考える人が増えると」が正確です。
良い猟師はイタズラに動物を苦しめないものですが、しっかり殺して肉を食べます。
問題は殺すことではなく、どのように殺すか?です。
・ヴィーガンはクールで先進的だって?
→はい論外。
はっきり言って、ヴィーガンがいいか悪いかなんて話はどうでもいいんです。
もっと深遠で面白い世界が、その背後で発見されるのを待っています。
どうかこの先、
ウザいヴィーガンと何も考えてない肉食系の死闘の末に、誠実な肉食系と落ち着いたヴィーガンによる平和が生まれますように。
「満足した豚より不満足なソクラテスであるほうがよい」
って誰が言ってたけど、結局はどっちも処刑されてるんですよね。
どのように処刑されるか、つまりどのように生きるか?
があるだけか。
どのように押すか?などない。
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