トロッコ問題は誰にでも起こる。猫を轢きかけて発見した正義

これから「正義」の話をしよう。

これは実際にあった話で、ある男が車で猫を轢きかけた時のことだ。

彼がヘッドライトの光をたよりに国道を走っていた時、果たして一匹の猛虎にゃんこが、草むらの中から躍り出た。

猛虎はあわやタイヤに巻き込まれるかと見えたが、たちまち身を翻して、元の草むらに隠れた。

その時彼は咄嗟にハンドルを切ってしまい、大きく対向車線をはみ出して蛇行した。その後彼は、草むらの中から人間の声で、

ฅ•ω•ฅ「あぶないところだったニャ」

と繰返し呟くのを聞いた。

このケースでは結果的に、にゃんこも彼も無事だった。

しかし、もし対向車が走っていたら、確実に大事故になっていただろう。関係のない第三者をも巻き込んでいただろう。

つまり一匹の通りすがりのにゃんこのために、多くの人間が犠牲になっていたかもしれないのだ。

こんな時、道徳的にはどうするのが正しいのだろうか?

セオリーはもちろん「容赦なく轢き殺せ」だ。車をよく運転する人なら皆知っている。

だが言うは易く行うは難しとはこのことだ。彼は頭を抱えた。

次に同じ状況になったら、冷静に轢き殺せるだろうか?それとも今度こそ事故ってしまうのだろうか?

さぁ君はどうすべきだと思う?

ん?自分も自信がないだって?

他に誰か意見はあるかな?

はい君。

(=゚ω゚)ノ「自信がないようでは困ります。辛いけど、ちゃんと答えを出さないと、、」

ごもっともな意見だ。君の名前は?

タマ?ありがとうタマ。

タマの言ってくれた通り、車を運転したいなら覚悟を決めるしかない。

これは純粋な思考問題ではない。多くの人が今後直面する可能性のある、現実的な課題だ。

そして本番では一瞬で答えを出さなくてはならない。一瞬で決める自信が持てないのなら、予め腹を括っておくしかないようだ。

車を運転するときは、絶えずにゃんこを殺める可能性がある。それが嫌なら運転してはいけない。

楽しいカーライフが重くなる?そうかもしれない。でも他に答えがあるだろうか?

話を続けよう。

その後彼は震えながらコンビニまでたどり着き、しばらく休憩を取ることにした。

そして冷静さを取り戻すと、ふとオシッコがしたいと気がついた。トイレを借りようとコンビニに入った時、陳列された弁当のハンバーグが目に留まった。

それは何の変哲もないコンビニ弁当で、今まで幾度となく目にしてきたものだ。

しかしその時、彼はこう感じたそうだ。

「この世はなんて無常なんだろう。」

「ついさっき私は、にゃんことの合い挽き肉になりかかった。だからよくわかる。きっとハンバーグ彼らが最後に見た光景は、あんな感じだったのだろう。」

彼はこうも言っている。

「私は畜生一匹殺すリスクを受け入れきれないくせに、毎日ハンバーグに囲まれている。

それはひとえに、臆病な自尊心と尊大な羞恥心との所為なんだ。」

さて、今日の講義はここまでだ。

人間が描く「正義」には、様々な側面があることが分かったと思う。

次回はそのパターンを一つずつ解き明かし、社会や個人にとっての「正義」が決定され、共有されていくメカニズムについて、考えを深めていくことにしよう。

最後に、にゃんこを轢きかかった彼の言葉を持って、今日の講義を締めくくるとしよう。

「付け加えて言うことに、貴方には決してこの道を通らないで欲しい。

又、今読んでくれてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。

勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、て、再び此処を過ぎて同じ轍を踏む気持ちを起させない為であると。」

ニャオーーーーーーン!

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画像提供:かわいいフリー素材集 いらすとや 様

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