健全な男子として申し上げます。
昔:普通のAVは飽きた。無修正AVが見たい。
今:やっぱモザイクがあったほうがエロい。
そして今、健全なゆるヴィーガンとして申し上げます。
昔:美味しい肉をたらふく食いたい。動物を殺すのなんて見たくもない。
今:肉は別に食べなくてもいい。動物の屠畜を普通に見れるし、一応実行もできる。
なぜ180度変化したのか言うと、
それはひとえに現実を経験したからです。妄想ではないリアルを経験したからです。
初めてセックスした時に思いました。
(。´・ω・)? 「想像してたのと違う、、」
(^-^; 「こんなものなのか?思ったほど楽しくないし、相手も楽しんでない。・・・先は長いな。」
そして、俺はもう童貞じゃないぜと謎の達成感を得つつも、うまく表現できない、ある種の宿題を与えられたよう気がしました。
そして経験を積むにつれて、その感覚は徐々に強まっていきました。
初めて動物を絞めた時に思いました。
( ノД`)シクシク… 「想像してたのと、、、違わないけど、、、ううう、、、言葉にできない。」
「でも食ったらうめー!」
そして、なんで俺はこんなことしてるんだ?と思いつつも、うまく表現できない、ある種の宿題を与えられたよう気がしました。
そして経験を積むにつれて、その感覚は徐々に強まっていきました。
それでもしばらくの間は、確か5年以上の間は、やっぱり無修正でしょ!いやいや気にしないで肉をガンガン食おうぜ?などと振り子のように気持ちは揺れ動きました。
様々なことを考えては試し、ああでもないこうでもないの繰り返し。
更に時間が経ち、振り子の揺れが収まった頃に気づきました。もっと大切なことが他にあると。
セックスはこうでなきゃいけないとか、肉を食べるならこう考えなきゃいけないとか、何が正しくて何が間違っているかとか、、、
全ては根拠のない思い込みでしかない。
と腑に落ちたある瞬間、かの元世界チャンピオンのように人生観が360度変わりました。
日本のファンタジーAVによる洗脳を解くのは現実のセックスしかなかったように、
日本のファンタジー肉食文化による洗脳を解くには、現実の屠畜経験がやはり最適なのでしょう。
経験の有無はすなわちオナニーとセックスほどの違いです。
今思えば、若かりし頃のあの想像力がいじらしい。
童貞は恥ずべきものと思わされていたのも、屠畜童貞は捨てるのは怖いと恐れていたのも、終わってみれば、ただのアトラクションだったと気づきます。
あーあ。もっと愉しめばよかった。
などと抜かすのは片腹痛い。世界は深淵で謎に溢れていて、新しい発見や経験がなくなることはありません。
あらゆる分野の童貞であり生娘だと自覚し続けることが、人生を楽しむ秘訣のようです。
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