選挙カーの「原発の無い命を大切にする社会を~」は意外と深イイ。

「命を大切にする」という言葉を時折耳にします。

でも意味がわからないのは私だけでしょうか?抽象的な言葉で煙に巻かないで欲しいと感じませんか?そんな折に面白い出来事を経験しました。

しばらく前に私の住む町で選挙がありました。ある朝に私が通りを歩いていると、選挙カーが大声で叫びながら近づいてきました。

「原発の無い命を大切にする社会を目指す・・・・・」と言いながら私の横を通り過ぎたとき、クシャ!っと聞いたことのある音が聞こえました。

轢かれてしまった哀れなセミに目を向けると、どうやら二匹いたようです。

形状から察するに、彼らは交尾中だった模様です。 ( ノД`)

私はその時「あーあ」とは感じたものの、すぐにまた別のことを考え始めました。

もし轢かれたのがネズミだったら、「気持ち悪ッ!嫌なもの見ちゃったな」とでも思ったでしょう。

もし猫だったら「ああ可哀そうに!」と死骸を道の脇まで移動させ、冥福を祈ったかもしれません。

人間だったら・・・一大事です。大抵の方は似た感覚ではないですか?

このように、大切にされる命とされない命があります。

判断基準は社会やその人にとって都合がいいかどうかです。

フランクに言えばどうでもいいセミは死んでもOKで、人に愛されている猫くらいになればNGということです。ではそれは生き物の種別によって決定されるのでしょうか?

違います。

同じ猫でも飼い猫は丁寧に供養されるのに対し、やさぐれた野良猫や奇形の猫はそうはいきません。人間や社会にとって都合がよくないからです。そう思う人が多数派だからです。

悲しいことにこの原理は人間の命にすら当てはまります。奴隷や低い身分の人間には悲惨な歴史があり、現在でも至る所で差別があります。

更に技術の進歩で可能となった出生前診断では、都合が悪い(と判断された)状態で生まれてくるとわかった人間は、産声を上げることなく中絶されるケースすらあります。

しかし厳しい現代社会において、その決断をした関係者を責めることなど誰にできるでしょうか。

従って選挙カーはこう言えば誠実でした。

原発の無い、世の中の弱肉強食のルールにとって都合のいい命だけを大切にする社会を目指す・・・

つーかそれと原発は関係なくね?

同じ死であっても当事者次第で与える意味は違います。

丁寧に供養される命と、踏みつぶしたことすら気づかれない命があります。

死は全ての生き物に平等に訪れますが、人間は死を不平等に扱います。

なぜなら人間はそれをある程度コントロールし、支配している(と思っている)からです。

さらに全ての生き物は独立して存在することはできません。

互いに食い食われるの関係でつながっていて、バランスをとりながら世界を保っています。

よって命を大切にすることは、優先順位を作ることです。守る命とそのために犠牲となる命の選別です。

様々な制約の範囲内で、より多くの命にとっての利益を最大化する。選挙カーのセリフにふさわしい、まさに政治の本質ですね。

そうか。選挙カーは何気に難しいことを言ってたんだな・・・こんな厄介なテーマに答えなんて出せるのだろうか?

そんなことを考えながら、その日の帰り道にセミが召された現場を通ると、セミの死骸にアリがたかっていました。セミの命はアリのご馳走に役目を変えて、相も変わらず世界を保っていました。

命と違って肉は平等です。スクラップ&ビルドを繰り返し、すべて無駄なく共有されています。

ところで①セミ → ②セミの肉 → ③セミを食べたアリ の間に明確な境界線を引けますか?

大切にするべき命の増減を数えられますか?

できないなら、話の前提となる”命の定義”自体があやふや、ということです。

そんなことはお構いなしに、いつだって肉は天下の回りものです。

スルーの無いブロガーを大切にする、、

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画像提供:かわいいフリー素材集 いらすとや 様

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