ヴィーガンという人種は、食べていい生物とそうでない生物を過剰に区別する。
普通の人もそれらを(無意識に)区別している。
例えば犬や猫を食べたくないとか。
その本質は、どちらも視野の狭さによる勘違いだ。
だって命は分割できないから。生命なのは木か森か?という話。
例えば、この写真に命は何個あるでしょうか?
真剣に追求すれば、分類は不可能だと気づくはず
苦しめちゃ駄目なカワイイ生き物。
食べても構わないオイシイ生き物。
駆除すべき迷惑なアブナイ生き物。
大好きなあの人、死んでほしいあの人。
どれも本質的に同じ存在だから。
いろんな生物を知識の範囲で「痛みや苦しみを感じるか否か?」で分類しても、すぐに違和感を感じるようになる。どこまでいっても納得しきれない。
だから肉食を全否定するヴィーガンはたいていアホだ。菜食主義を総攻撃する人も同じくアホ。アホ同士故に争いが終わらない。
じゃあ真実はなんなのか?
この世は食うか食われるかだけの、血も涙もない世界なのか?
それは善悪ではなく好みの問題だ。だったら自分好みの世界を作って身を置けばいい。
神さまですら、納得できるような答えを持ってない。世界の宗教的な食のタブーを見れば、その食い違いは一目瞭然だ。なら自分で選ぶしかない。
ヒトも所詮アニマルである
現代人の多数派を占める「身内の死にだけ悲しんで。他には興味を持たないスタイル」は生物学的には理にかなっている。
自分に近い遺伝子の保存に役立つ存在以外は道具に過ぎない。それは正直な態度だ。他人はどうでもいい。ましてや家畜など論外。
まるでナチスのようだが、アニマルとしては自然だ。
そんな私たちは、全ての生物と共通の祖先をもつ、、とされている。
最初に地球に現れた生物は、納豆菌みたいな原核生物だったらしい。
この納豆菌に思考力は(たぶん)なかった。
納豆菌同士で食って食われてが日常。それを何億年繰り返しても何も感じない。あれこれ考えずに、ただシンプルに生きていただけ。
そして彼らが進化した姿が、私たち人間や全ての生物だとされている。
種の境界線は曖昧。ヒトが勝手に決めただけ
個体の境界線も曖昧。知能があるか否かも、生きてるか死んでるかも。
おかげで文明ができて何千年もたった今でさえ、ヒトはどの生物を食べるかで揉めてる始末だ。
善悪や損得の概念を作って社会を築いたのに、そのほとんどが当てにならない。
ヴィーガンの本質が勘違いであるように、私たちの人生が何かと大変なのも、殆どは勘違いに忙しいせいだ。
本当に大切なことは別にある
私たちが本当に求めているのは、倫理的な食生活を送ることでも、地球環境を守ることでもなくて、その勘違いを解く方法なんじゃないの?
そしたら楽になれるから。
生命なのは木か森か?
どっちも判断や解釈が生まれる前からあるのに。
それは食べていい生物とそうでない生物を、区別する前からあるのに。
そんなことでケンカするのは微笑ましくもある。
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