この言葉、実は超簡単に理解できます。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、初めて解脱を得ん」
というより、既に誰もが体得しています。気がついていないだけです。
新しく身につけることは何もありません。
なぜなら、この言葉を毎日実行しているからです。
え?仏や父母なんて殺したことがないって?
だとしても、牛や豚なら毎日食べているでしょう?
なら殺してるも同然です。
(もっと言えば、人間だって毎日殺してるようなものです。中絶とか死刑とか、極端な貧困を見て見ぬ振りするとか)
そして、いろんな生き物を殺していても、全く気にならないでしょ?
全然悩まないでしょ?
悩まない = 解脱
それだけの話なんです。
たとえ何があっても、その状態をキープできるようにさえなれば。
これを「悟り」と言い切れば抱腹絶倒です。しかし重大な示唆が含まれています。
記事の要点は、これだけです。
この先は詳細の説明なのですが、内容としては繰り返しになります。
それでもよければお読み下さい。
しかし、禅を言葉で説明すると怒られるらしいので、理解するための具体的なエクササイズをご紹介していきます。
頭ではなく身体で理解するように努めてください。
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この言葉の成立背景
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、初めて解脱を得ん」
殺仏殺祖(さつぶつさっそ)とも略されるこの言葉は、リンザイさんという昔の僧侶によるものです。
弟子たちへの指導語録として、著書「臨済録」に残されています。
禅の思想をドラスティックに表現したものとして有名です。
ちなみに、三島由紀夫の代表作「金閣寺」でも繰り返し引用されているので、そこで知る人もいることでしょう。
近年では、ZEN(禅)は世界的な市民権を得ており、故スティーブ・ジョブス氏を始め、ビジネスマンの間にも支持者が増えてきました。
ちなみに高橋みな〇さんというアイドルの座右の銘でもあるのだとか。
一方で「禅は意味不明な言葉遊びだ」とのイメージも根強く、この言葉も難解だと言われているようですが・・。
一般的な解釈
冒頭の言葉を、ゆるく超訳します。
「仏様と出会ったのなら、仏様を殺しちゃいなよ。ご先祖様と出会ったなら、やっぱり殺しちゃいなよ。偉い人たちも殺っていいよ。両親や親族だってOKさ。
もうわかるだろう?君が尊いと思ってきた人たちを、片っ端から殺っちゃいな。そしたらYou、悟れちゃうかもよ」
随分と極端な考えですね。
あと殺す殺すって中二病みたいです。
禅の僧侶というのは、過激な発言が多いことが特徴です。
それでいて的を得てるから賛否両論です。今でいう炎上狙いに近い手法です。
近年のサッカー選手で例えれば、本田圭佑みたいなスタイルでしょうか。
「俺は挑発的な言葉を使う。あえてね」
臨在の肖像画 画像引用元:ウィキペディア
さて、「仏に遭うては~」を平均的に解釈するとこんな感じです。
「何事にも捉われるな。神や仏にすらも執着するな。全部思い込みかもしれないだろ?そいつを超えた先にいいもの(悟り)があるよ」
つまり殺すってのは比喩です。覚悟の話。
ホントに殺っちゃダメですよ。
しかし、普通はこう思うことでしょう。
「言いたいことはわかった。でも殺せとか悟れとか怖いし、結局よくわからないよ」
では、この言葉の理解がいかに簡単かを説明していきます!
そのために、一度話を変えます。
超簡単に理解できた瞬間
ある日、筆者がとある高級店ハンバーガー店で食事をしていたら、ペット殺処分ゼロを目指すチラシが目に留まりました。
すこしずつ処分数は減っているそうです。
避妊手術の推奨や、ブリーダー制度推進の結果です。素晴らしい。
(^-^;・・・。
ハンバーガーを食べながらでなければ、素直に喜べたのに。
肉を頬張りながら「家畜の殺処分が減ったぜバンザーイ!」
なんてできるかボケ!
この問題は厄介です。
例えペットの殺処分がゼロになっても、更に家畜を全廃したとしても、なお根本解決しません。
保護対象が魚や植物に拡大するだけで、同じ構図の課題は消えないからです。
私たちは何かを殺さないと生きていけない上、何かを可愛がらないと退屈な性分です。
どこかで線引きするしかない、、と思い知らされるだけです。
なんだかなぁ。
生き物をモフる悦びとか、殺すのは残酷だから嫌だとか、根拠がテキトー過ぎる。
虚しくなっちゃうなぁ。
次の瞬間、私の脳裏にあの言葉が浮かびました。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、初めて解脱を得ん。」
その時初めて、リンザイの真意を体得できたような気がしました。
どういうことかって?
あなたにでもできる!具体的なエクササイズ
ではハンバーガーとペット殺処分の話を踏まえて、「仏に逢うては・・」を実践的な言葉に置き換えてみましょう。
「牛に逢うてはハンバーガーを食べ、豚に逢うてはトンカツに舌鼓をうち、鶏に逢うては焼き鳥を平らげ、魚に逢うては踊り食いに興じ、野菜に逢うてはスムージーで女子力UP、果物に逢うては残留農薬ごとかぶりつき、バイ菌に逢うてはイソ〇ンで消毒しよう。
イナゴに逢うては佃煮にし、クジラに逢うては追い込み漁をし、犬に逢うてはポシンタンを食べ、猫に逢うては三味線を弾き、ヒトに逢うてはヒト由来プラセンタを注射しよう。そしたらYou、悟れちゃうかもよ。」
もうお気づきですね?
このテーマでは「殺す」という言葉が比喩でもなんでもありません。
しかも日常にありふれた行為です(少なくとも前半は)。
「仏に遭うては~」って言葉、殺す殺す言ってて怖いんですけど。
そして怖がっておきながら、毎日のようにそれを実践している自覚がない私たちは・・輪をかけて怖くないでしょうか?
今までいろんな生物を食べてきたけど、特に抵抗はなかったですよね?
それはこだわってなかったからです。
一方で、犬猫やヒトを食べるのは嫌ですよね?
それはこだわってるからです。
とてもシンプルな話です。
この原理は食に限った話ではありません。あらゆる出来事は、受け取る人の解釈によって意味付けされています。
そんな原理を見抜き、そいつを殺しまくれってワケなのでしょう。
これを「悟り」と呼べば抱腹絶倒。しかし一定の示唆は含まれていそうです。
ね?私の中のリトル・リンザイ?
本当に恐いのは殺すことではなく無関心
ハンバーガーを食べ終わった時、リトル・リンザイは言いました。
「何事にも捉われるな。但し事実はしっかり受け止めなさい」
「ハンバーガーも犬の殺処分も、本質的な問題ではない」
今後遅かれ早かれ、世界の食文化は少しずつ変わっていきます。
世界中の大企業が菜食文化を(実態以上に)賛美し、肉食文化を否定するように世論を巧妙に誘導するかもしれません。それがグローバルスタンダードなんだから従えとか匂わせてね。
人と動物の関係が見直されている昨今、世界のRINZAIの言葉を噛みしめるには良い頃合いではないでしょうか。
「伸びしろですね。このチームはまだまだ強くなれると思います。」
私たちは既に悟っている?それとも、、
ちなみに禅の世界では、弟子が誤った見識を述べると、師匠に「喝!」とぶん殴られると聞きます。
もし私が弟子の立場であれば、その場で師匠の四肢を切り落とし(ダルマにして)、燻製にでもして食ってやろうかと思っています。
コワイって?やりすぎだって?
ご冗談を。それぐらいやらないと、師匠にも動物にも失礼です。
修行や肉食は戯れではありません。命をかけた真剣勝負です。
・・その結果が毎日の食卓だなんて、考えてみると不思議ですね。
リトルが押したいって
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