捕鯨問題の円満解決にはジャイアンの成長を見守ればいい

動物との付き合い方
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「ジャイアンは捕鯨問題のキーマンである」

 

という主張を真面目にしていきます。

このカードはそれを暗示しているとしか思えません。

 

 

 

 

ジャイアンのこの言葉には元ネタがあります。

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」 

 

シェイクスピアの「尺には尺を」という作品の台詞という説が濃厚です。(原題「Measure for Measure」 1603年頃成立  )

What’s yours is mine, and what’s mine is my owns 」

 

そのまんまですね。ジャイアンの意外な教養です。

同作品には他にもこんなセリフがあります。

 

「罪によって出世する者があれば、善によって転落する者もある」

作品名にある尺(ものさし)というのは善悪の価値観を示しています。「 尺には尺を 」という作品は、正義同士がぶつかり合う捕鯨問題を象徴するに相応しい戯曲ですね。 読んだことないんですけど。

 

 

 

日本が商業捕鯨を再開

さて、日本政府はIWCを抜け(学術調査ではなく営利の)捕鯨を再開することにしました。

2018/12/26 BBC News Japan : 日本、商業捕鯨を再開へ 来年7月から

 

反捕鯨国の反発は必須。今まで以上に国益を損なうから考え直せ!との声も大きいですが、個人的にはどっちでもいいと思っています。

捕鯨を続けようが辞めようが、肉食をはじめとした動物の利用をきちんと見つめ直す社会にならないと無意味だからです。ましてクジラだけを特別視して、動物の保護すら支配の道具にするなんてね。 

 

このテーマは論点がたくさんあるけれども、最も気になるのは「なぜクジラとイルカだけを特別扱いする態度を他国に押し付けるのか?」でしょうか。

絶滅危惧種ではなく他国領海での漁業でもないのに、なぜ反捕鯨国は感情的に自説をゴリ押ししてくるのか?外交的な圧力さえ使い、自らを正義と信じて疑わない様子です。

その態度はまるでジャイアンのよう。彼が大人になって、狡猾さを身に着けた姿です。

 

グローバリズムを体現するジャイアン。

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」という言葉に由来しており、自らの所有物(占有物)については当然に自分の所有権を主張しつつ、他者の所有物に対してさえも全く法的な根拠なしにその他者の所有権を否定し、所有権が自分に属することを暴力的に主張するという、極端に利己主義、独占主義的な思想を指す。

 

反捕鯨国の大部分はこんな感じです。支配するかされるか、それが問題だ。

ドラえもーん助けてー!ジャイアンがイジめるよー!

 

でもあれ?クジラから見れば私たち人間はもっとヤバいジャイアンだね・・・。

ドラえもーん助けてー!ジャイアンに殺されて食べられるよー!

 

捕鯨問題を論じる時は、「私たちは加害者側である」という事実を思い出したいところです。

 

クジラには人間がこう見えてます。

 

 

 

ジャイアニズム 2.0

がしかし、ジャイアニズムには進化版があることをご存知でしょうか。

原作にはないTVアニメだけの脚本らしいのですが、のび太が無くしてしまったランドセルを、ジャイアンが必死に追いかけて取り戻す、というエピソードがあるそうです。

ジャイアンはランドセルを奪取した後に、のび太にこう言い放ちました。

 

 

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの!

ガキ大将が一皮むけた瞬間です。

 

 

今度はカッコいい。

 

 

 

ジャイアニズム 3.0

更に、ジャイアニズムには次なるステージが存在します。

 

身も蓋もないことを言いますと、ジャイアンは架空のキャラクターです。

いつもイジめられてるのび太にしても、いつもセクハラされてるしずかちゃんにしても、作者が描いているキャラクターです。自分の意思で動いてるわけではありません。実態はありません。

 

喋っているのはジャイアンではなく作者。

 

実は私たちも同じです。自分の意思で生きているように錯覚してるだけで、思考すら自力でコントロールできません。身体もコントロールできるのはごく一部分だけ。他人のコントロールなんて絶対無理。

世界の99.99999999%出来事は介入不能な現象です。っていうかコントロールってなに?

私たちいつのまにか存在していて、よくわからないまま生きて、いつか必ず死ぬ。どう考えても動いているのではなく、動かされている存在です。

だから、どこまでが「私」でどこからが「あなた」なのかすらわからない。そんな境目はない。

 

シェイクスピアもこう書いてます。

「全世界は一つの舞台だ。すべての男と女は(もちろんクジラも)役者にすぎない。」

大人になったジャイアンなら端的にこう表現するでしょう。

「おまえはおれ、おれはおまえ

 

 

 

が、が、が!この世界には痛みがあります。

自分だけが感じる痛みが。他者の痛みは想像するしかない。

 

私たちがケガをすれば痛いように、クジラがモリで刺されるときは死ぬほど痛いだろうし、ジャイアンだって母ちゃんにビシバシされたら痛いんです。(たぶん)

だから誰かの痛みは最小限に抑える。やらざる負えないなら見て見ぬふりをしない。程度の差はあれど、この二つはマストで達成したいですね。

 

 

映画「ビハインド・ザ・コーヴ 捕鯨問題の謎に迫る」にて、反捕鯨グループの代表者がこんなことを言っていました。

「私の目的は単純だ。全ての人間がヴィーガンになって、動物の搾取を終わらせること。それだけだ。」

 

その志自体は尊重されるべきものです。

迷惑行為なしでアピールしてくれればいいのですが、それでは世間に黙殺されることを彼らはよく知っています。 過激な団体が現れるのは、彼らが言論で訴えても無視され続けてきたから。

だからって許される行為ではないものの、非難されるべきは彼らだけではありません。このテーマに知らんぷりを続ける私たちにも責任があります。

 

 

 

まぁ私たちは欠点まみれだから仕方ありません。ジャイアンに至ってはまだ小5のクソガキです。

いまは文字通り絵に描いたガキ大将でも、将来は頼れるリーダーに化けるかもしれない。 映画版のドラえもんでは男気溢れる性格が強調されるあたりに、その片鱗が示されています。(ってことにしよう!)

捕鯨問題のジョーカーが成長するのを、ゆっくりと見守りましょう。

 

 

 

心の友よ

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