【手術室の清掃アルバイトの体験談②】血への恐怖を乗り越えたご褒美

人間の認識について
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病院の手術室を清掃するアルバイトの経験談、その②です。

前記事 → 【手術室を清掃するバイトの体験談①】仕事内容と学んだことをシェア

 

この仕事をネットで検索すると・・

血を扱う仕事なんて怖い!やりたくない!

 

といった偏見が見られるので、経験者として反論します。

 

手術室の清掃バイトをしばらく続けると、血への苦手意識が徐々に消えていきます。

血だろうが、肉だろうが、骨だろうが、切り離された手足(ごく稀に扱います)だろうが、、

 

「あらゆる怖さは、すべて錯覚に過ぎない」

 

と身を持って理解できるからです。

 

そしてこの感覚は一生の財産になります。

たぶんこの仕事を通じて得られる、最高の学びになります。

 

どういうことか?

詳しく説明していきます。

 

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血はキモチワルイ?

 

そもそも論として、医療関係者は血や人体を汚いとも卑しいとも思っていません。

たとえバイトの清掃業者であっても、自然とその感覚は共有されます。

(医療的な清潔/不潔、感染源の話は別)

 

最もわかりやすい例は、献体でしょうか。

 

献体とは、

「医学系大学に遺体を無条件・無報酬で提供し、解剖実習の教材にしてもらう行為」

 

ザックリ言えば、練習台になることです。

医師や歯科医の養成を支える、ある意味で究極のドネーションです。

 

いまでは毎日手術を繰り返し、血を見るのが慣れっこになっている医師だって最初は素人です。

きっと学生時代の「はじめてのかいぼう」はきっと緊張したことでしょう。

では医学生たちの生の声を聞いてみましょう。

 

重要な箇所なので、少し長く引用します。

医師A
医師A

実習を終えた今、私の医師になることに対する覚悟は情けないほど中途半端だったと痛感します。やっと人に堂々と言えるくらいの覚悟ができました。どれもこの解剖実習のおかげです。将来患者さんを前にしたとき、医師として堂々と座っていられるのはこの経験があったからであると信じたいです。

知識においてだけでなくご遺体を解剖していく過程でその人の人生やご遺族の方たちの献体に対する思いなど、様々なことを感じ取ることができました。

 

決していま感じていることを忘れずに私は1人の人間として患者さんと向き合える医師になろうと思います。

ください。

医師B
医師B

実習の対象は物ではなく1人の人間なのだ、そんな思いが皆にはあったと思う。

 

さらに実習を重ねる度に、ご遺体の身体全てに「生きてきた」という証しが年輪のごとく刻まれているのを目にし、ご年配の方に対する尊敬や畏敬の念すら覚えてしまうのだった。

獨協医科大学 献体事務室獨協白菊会様のHP」より引用

 

このように献体は敬われます。

従って、手術で散乱する血や人体組織を汚いワケもなく、それを清掃する仕事が卑しいことにもなりません。

 

とはいえ素人が血を敬遠してしまうのは、まぁ仕方ありません。

こういうことを学ぶチャンスがなかったのだから。

 

言い換えれば、学習する機会さえ作れば、変な先入観に捕らわれる人はゼロにできるということです。医師たちがそれを証明しています。

 

食肉はキモチワルイ?

少し話を変えます。

実は献体なんて、珍しくもなんともないんです。

毎日みんなが接しています。食事の時に。

 

では、さっきの文章を改変します。

医師B
医師B

食事の対象は物ではなく1動物なのだ、そんな思いが皆にはあったと思う。

 

さらに食事を重ねる度に、ご遺体の身体全てに「生きてきた」という証しが年輪のごとく刻まれているのを目にし、家畜に対する尊敬や畏敬の念すら覚えてしまうのだった。

 

と思ってもいいはずなのに、
ほとんどの人は考えたことすらありません。

 

 

そう。

この誤解を解くために、わざわざヒトの解剖実習の例を持ち出す必要なんてなかったんです。

既に毎日のように(間接的にではあるが)解剖を実行していたのだから。

無意識とは恐ろしいものです。

 

別の意味で恐ろしいのは、医療関係者は案外この話に興味がないことです。

彼らの関心は、ヒトを対象とした医学的な知識や技術にあり、食物や実験材料としての他生物へに関しては、全く興味がなかったりします。

それこそ一般人とほぼ同じ。

 

そりゃ仕事が忙しいし、科学が煙たがる話だから仕方ないんですけど・・

解剖実習で得た知見は、ヒトに限った話ではないのは明白です。

 

 

それでも、もし普段食べている動物に一切敬意を感じてないとしたら、ヒトの献体へ送られた敬意すら、安っぽく見えてしまいます。

 

医師A
医師A

ご遺体を解剖していく過程でその人の人生やご遺族の方たちの献体に対する思いなど、様々なことを感じ取ることができました。

 

これ嘘だったの?

ホントに学習したの?

 

なんてね。

 

 

だから個人的には違和感を感じます。

医師ではなく、獣医とかだと違うのかもしれませんが。

 

ほとんどのグロさは錯覚

手術室の清掃を続けていると、血やグロへの苦手意識が徐々に消えていきます。

血だろうが、肉だろうが、骨だろうが、切り離された手足(ごく稀に扱います)だろうが、怖いと感じるのは錯覚だと思い知らされるからです。

 

逆に言うと、人間の献体を必要以上に敬うのも変な話なんです。

それこそ人間の解剖で学んだ優しさが、他の動物には全く適応されないんですからね。

状況次第で感じ方がコロコロ変わるからです。

 

 

ただし断言できるのは、

・どんな生物もいずれ土に還って、自然界を循環すること

・本質的には、キレイとか汚いの観念とは無関係なこと

 

それらを身をもって体得できれば、一生の財産を得ることになります。

時給が安いことなんて、全く気にならなくなる位には。

 

 

ドネーションを下さい

 

→ 【手術室の清掃アルバイトの体験談③】中絶の本質はコスト意識らしい

 

PDPicsによるPixabayからの画像

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