病院の手術室を清掃するアルバイトの体験談、その③です。
前々記事→ 【手術室を清掃するバイトの体験談①】仕事内容と学んだことをシェア
前記事→ 【手術室を清掃するバイトの体験談②】血への恐怖を乗り越えたご褒美
当記事では、現場で最も衝撃的だった「中絶手術の現場」で学んだことをシェアします。
働き始めた頃にこう思いました。
手術室の予定表で毎日のように見る、アウスってどんな手術だろう?
先輩に質問してみると、バツの悪そうな顔をされた上、しれっと煙に巻かれました。
調べてみたら納得です。それは人工中絶手術を表す専門用語でした。
つまり手術室の清掃バイトでは、毎日のように中絶手術と関与することになります。
どんな気持ちで働いていたかを書いてみます。
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中絶手術の凄まじい件数
厚生労働省のデータによると、日本における人工中絶件数は平成28年度で約168,000件です。
過去数年にかけて5000~10,000件ずつ減っているものの、依然としてすごい数字です。
つまり、約6人出産するために1人中絶しているのが日本の現実です。
とある産科医の方は、「何度やっても好きになれない」とこの手術を表現されています。
胎児たちが死んでいく現場のセッティングをしていた私も、、、もの哀しさを感じていました。
存在の耐えられない軽さ
「人生で最も幸せだった瞬間はいつですか?」
との質問に対して、「赤ちゃんが生まれた瞬間」と答える親は(父親、母親問わず)多くいらっしゃいます。
その幸せな瞬間と同時に、隣の手術室では健康な赤ちゃんが中絶されたりします。
出産の喜びはタイミング次第である。
喜びと生命の誕生は、実は無関係である。
という罪のない真実が伺えます。
中絶手術は淡々と処理されていきます。
いちいち気に病んでたら、仕事にならないから。
私は所詮清掃のバイトでしたが、なんだかんだで中絶手術に慣れてしまいました。
それが日常なので。医師や看護師なんかはもっとそうなんでしょうね。
いのちの本質=コスト
中絶現場で身に染みたのは、
いのちの重さというのは、要するにコスト意識だということです。
中絶するのは産んでも ”コスト的” に育てられないから。時間やお金の養育力がないから。
だったら母体の負担軽減も考えて、赤ちゃんは堕ろすのが最適です。
犬猫だって繁殖させ過ぎると困るので、避妊手術をします。あれと全く同じ。
不幸に育てたり死なせるくらいなら、生まないほうが良いという考えです。
幸せになれそうなら産む、そうでないなら堕ろす。もしくは不妊手術。
つまり・・
人間も家畜と大差ないんです。
家畜は望まない妊娠をさせ、生まれたらすぐに引き離し、適当に育てたら消費するために殺します。
繁殖させすぎると面倒を見切れないからバースコントロールをして、ペイしそうなら産ませる、そうでないなら産ませない。もしくは不妊手術をする。
私たち人間も家畜と同じく、コスト意識の天秤にかけられて生まれてきました。
普段意識しないけれど、紛れもなく真実です。
こうなってくると、人間には他の生物とは一線を画す価値がある!という肌感覚が滑稽になってきます。
単に他の生物との殺し合いに、勝ってきただけでは?
強者の意見が通っているだけでは?
そんなものなのでは?
家畜から脱却するためのステップ
仮にこの先の社会で、「避妊技術をもっと進歩」させつつ、「資源を奪い合うことではなく、与えあうことで循環するように」できれば、中絶手術は劇的に減らせるのかもしれません。
しかし、100年後も「アウスしまくり」であったならば悲しいものです。まずは牛や豚の家畜システムを見直していけば、自然と人間たちの家畜性も変わっていくと思うんだけどなぁ、、。
ただ肉を食べるだけじゃなく、その背後にあるものを見つめられるようになれば、大きなメリットに繋がると思うんだけどなぁ、、。
菜食主義や禅というのは、それを実現していくのに役立つと思うのだけどなぁ、、。
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