知性ある単細胞生物「モジホコリ」を菜食主義者は食べるのか?

ヴィーガンと肉食
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「単細胞生物はアホ」というイメージは大ウソでした。

最適経路を割り出せる上、記憶力すらも備えた単細胞生物がいます。

2016/12/16  GIGAZINE  脳や神経がないのに迷路を解き、融合することで記憶を共有する黄色いスライム「モジホコリ」の不思議な力

脳も神経もない、たった一つの細胞しかない生物ですよ?

実は、少なくとも脳や神経以外にも知性が働く何かがあることは、以前から様々な実験で示唆されていました。アメーバやゾウリムシにも条件付け学習をする能力があるそうです。

ただし、その知性がいかに生み出されているかは、まだ不明だそうです。

なんて興味深い研究分野でしょうか。

ここで筆者が気になるのは、この知性を菜食主義者はどう評価するか?にあります。

彼らにとって、知性を持つ単細胞生物「モジホコリ」は食べてもいい存在なのでしょうか?

当記事ではそこを考察していきます。

モジホコリ。黄色いの全部で一つの細胞。

大航海時代から進歩しない人間の知性

前述したリンク先の記事を要約します。

「単細胞生物であるモジホコリには、エサがある場所同士の最短距離を(100%ではないが)結ぶ能力がある。しかもその際の記憶は一定時間保持される上、他の個体と融合しても忘れない。」

この成果は、北海道大学理学研究科(当時)の手老篤史氏らによる研究チームによるものです。

2008年には「単細胞生物の真正粘菌にパズルを解く能力があったことの発見に対して」と理由でイグノーベル賞の認知科学賞を受賞しています。論文はコチラから。

とどのつまり、知性が足りなかったのは、単細胞生物ではなく私たち人間のほうだったんですね。

単に翻訳の問題だと思うんですけど、個人的にはこの受賞理由もおかしいと感じています。

「単細胞生物の真正粘菌にパズルを解く能力があったことの発見に対して」

発見だって?どこまで自分本位なのでしょうか?

単細胞生物に「パズルを解く能力などない」と誤解していた過去への反省が感じられません。アメリカ大陸だってコロンブスが発見する前からずっとあったというのに。

「パズルを解く能力があると証明した」と言えばいいのに。

そもそもの誤解は脳の過大評価

近年は脳科学が注目されたせいか、脳を研究すれば何でも解決するみたいな風潮もありますが、脳の無い単細胞生物も結構賢かったっようです。

・・・でも考えてみれば当然でしょう。

脳は進化の産物であって、生命にとってオプションのようなものなのですから。

まず生命が生まれ、その後に脳が開発されました。そして脳は進化の過程で少しずつ発達してきたものです。つまり脳は主人ではなく奴隷です。主人はあくまで生命の本体たる遺伝子なのです。

その辺を私たちは忘れがちです。菜食主義者なんかは特に。

よく菜食主義者が言う「知性や情感のある生物は食べちゃダメ」って理屈は、視点によっては根本的な間違いなのかもしれません。

もし進化論に従って考えるのなら、遺伝子そのものに進化を望む意思があるわけではありません。(ID論とかは別として)

どういうわけか世界に生物が誕生して、少しずつ進化してヒトになって、高度な文明が築かれ・・・この全ては単なる偶然と説明されています。

そして、たまたま遺伝子には時々コピーミスが起こる性質があって、たまたまそれが繁殖に有利な形で表れて、たまたまそれが選別されて生き残った。その繰り返しが自然選択(進化)だと考えられています。

あくまで生命の目的は繁殖です。

肉体や脳はそのための道具だから、手段に過ぎません。極端な話、繁殖さえ成功すれば、脳なんて無くたって構わないのです。

この事実を端的に表した事例もあります。

2017/7/14 exciteニュース 脳死した妊婦、123日後に元気な双子の赤ちゃんを出産

脳死した状態でも繁殖ができるのなら、脳がなくても立派な生命である証と言えるでしょう。

しかし、菜食主義者たちはこう言います。

「痛みや苦しみを感じる生物は食べるべきではない」

この考えは優しいものですし、何も考えずに家畜を食べている現代人たちにとって、もっと真剣に考えなければならないテーマであることは確かだと思います。

それでも、誤解は誤解として見つめなければいけません。行き過ぎたヴィーガンの主張にウンザリしている人も多いことですから。

痛みや苦しみは高等なのか?

痛みや苦しみという現象をよく見直すと、

① 痛みの本質は神経を流れる化学物質であり、脳に対する肉体のアラームです。麻酔を使ったり、興奮してアドレナリンが分泌されたりすれば、痛みは一切感じなくなります。

② 苦しみや悩みの本質は脳に現れる化学物質であり、多くの場合は根拠のない思い込みに起因する取り越し苦労です。瞑想をしたり、薬を飲んだり、ウンコが漏れそうでピンチになったりすれば、苦しみや悩みどこかへ消えてしまいます。

つまり、

痛みや苦しみや悩みを感じる能力は、どちらも生命の本質から見ればオプションに過ぎません。あくまで手段であって目的ではありません。

そして①と②の有り無しを基準にして、菜食主義者たちは食べていい生物か否かを決定しようとします。高等な生物、下等な生物のランク分けをしています。

しかしヒトの脳でそれを決定しようだなんて、おこがましくはないでしょうか?

ヒトはそれが解るほど賢いのでしょうか?

脳が生命を支配しているのではなく、生命が脳を支配しているというのに。

ヒトの愚かさを誰か「発見」してほしい

私たちヒトにしたって、遺伝子に支配された一介の生物に過ぎません。

単細胞生物は案外賢いのだとモジホコリに教わったばかりですし、ここは素直に、ヒトの愚かさを認める謙虚さを保ちたいものです。

高等な生物、下等な生物という区分けは、あくまで人間基準の勝手な判断に過ぎません。それを忘れないようにしつつ、私はゆるい菜食主義を続けていくつもりです。

血気盛んなヴィーガンたちにも、少しは別の視点に目を向けてほしい所です。

(何も考えず肉を食うだけの人がムカつくのは、全面的に同意ですが)

何も考えず押す人は好き

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