残酷な生贄文化にキリスト教国が激怒。ゾンビ開祖の胸中はいかに?

近年よく、世界各国の生贄文化が槍玉に挙げられています。主に欧米諸国から。

2015/7/29 ネパール寺院「ガディマイ祭」、5年に1度の動物虐殺を禁止へ

2015/2/22【超・閲覧注意】生きたまま“一刀両断”祭りの凄惨すぎる光景!! これは文化か、虐殺か?=ベトナム

生贄文化について、私も以前は理解不能と思っていたのですが、、今は考えが変わりました。

動物を解体する経験を積むにつれ、軟弱な現代人の弱さが見えてきたからです。

生贄が神聖視されてきた理由

彼らが生き血がブシャー!と出るシーンに神聖さを見出すのは、それが生と死を跨ぐ瞬間だからです。

大切な財産を神々への供え物として送り出す、正にその瞬間だから。

厳しい世界の中、他の生物の命を奪って生きていることを否が応でも意識するから。

最もショッキングな現象だからこそ、神々に捧げる価値があるというわけ。

(欧米サマが愛読する聖書にも、よく出てくるのにね。生贄。)

・・・これを野蛮と言い切れるのでしょうか?

もしそうなら、先進国の現代人はその100倍は野蛮です。家畜を食ってるくせに、全部忘れた挙句、人様を槍玉に挙げてるのですから。

「え?なんて?」

スプラッタ好きは人類のDNAらしい

生贄文化では「吹き出た血にパワーが宿る」と考えられています。

記事より引用

数千人の村人が見守る中で行われるこの“一刀両断”祭り、どうやら殺されたブタから吹き出た血液に紙幣を浸すことで、新年の幸運や無病息災を願うとの意味も込められているようだ。

最初は狂ってるとして思えなかったこの感覚も、今では理解できます。新鮮な血は様々なメタファーなんですよね。生命とか神との契約とか。

フィリピンなんかでもこの文化が根強いらしく、生贄の血がブシュー!と吹き出た瞬間に・・

「ああ!神よ!」

ってなる感覚らしいです。

・・考えれみれば私たちだって、ゾンビ映画とかで血がプシュー!したら、

「ああ!スプラッタなエクスタシー!」

ってなる人が多いじゃん。”ゾンビもの”というジャンルが確立されるほどに。

なるほどパワーがあります。

フィクションか現実かの違いあれど、現代人はフィクションを楽しめるのに現実は直視できないときてる。やはり野蛮なのは、槍玉に挙げられるべきなのは、、、

生贄文化ではなく(特に先進国の)現代人では?

「感情まかせの非難はやめて、理解し合おうじゃないか。」

生贄は数なのか?質なのか?

前述のガディマイ祭りは、500,000頭近い牛やヤギを生贄にするらしく、以前から(欧米諸国より)やり玉に挙げられてきました。

現場はまるで地獄絵図なので、インパクトある写真が撮り放題です。その写真を使って知識のない人々を焚き付ければ、禁止に追い込むのは造作もないことです。

その一方で、日本国内における平成29年度の屠畜件数は以下の通り。

牛:およそ1,000,000頭、

豚:およそ16,000,000頭、

鶏:およそ750,000,000羽(廃鶏含む)

農林水産省の畜産物流通統計より引用

残酷さってなんだよ。

数?質?それともフォトジェニックさ?

人間とは不思議なものです。

世界で一番大切な命の話なのに、このテーマに関心を持つ人はごく一部。

でもスプラッタなゾンビ映画は世界中に存在します。

・・・じゃあゾンビ映画で表現すればいいのか。

気高いゾンビが迫害と戦いながら、生命倫理の見直しを訴える話。

主人公の名はナザレのイエス。死を超越した神の子。人類史上唯一の、公認リビングデッド。

聖書は最もヒットしたゾンビ作品かもしれませんね。

「私を槍玉に挙げた凶器は聖遺物になった血がブシューしたせいだろうね。」

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