「名は体を表す」
名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる。
出典:デジタル大辞泉
このことわざ、ズレてないでしょうか?
まず世界が先にあって、後から名前を付けたのだから。
「体」に投影したイメージを「名」として与えた以上、両者が一致するのは当たり前です。
「体を表すために(都合のいい)名をつけた」とでも言えばいい。
勘違いが問題になる時
例えば、馬の肉が「桜」と呼ばれるようになった理由。
肉食を禁じられていた昔の僧侶たちが「これは桜であって肉ではない」と言い張って肉を食べるための屁理屈として別名をつけた、という逸話があります。
他の獣肉の別名も同じ経緯でつけられたのだとか。
・牡丹(ぼたん)= イノシシ
・紅葉(もみじ)= シカ
・柏(かしわ) = ニワトリ
つまり名前のイメージだけで、判断しちゃうリスクを抱えます。
名前は単なる記号であって、実体ではないのに。
いわゆるダブルスピーキングというやつで、現実社会でもよくある話です。
・大量殺戮 = 民族浄化 (ナチス)
・ポイント獲得 = 割引の先送り(得した気分になれる)
・精神分裂病 = 統合失調症 (患者への配慮)
・動物の死肉 = 神戸牛のシャトーブリアン(ブランドの誇示)
・犬料理 = 「ポメラニアンのラタトゥイユ。季節の肉球を添えて」(ステキ!)
弱者を保護するために、悪いイメージを覆い隠す目的もあれば、
弱者を操作するために、悪いイメージを覆い隠すことも。
そこには誰かの思惑が働いています。大抵は黒い思惑が。
勘違いのせいで余計に苦しんでいる。
なによりも、多くの人が損してるのは、
「自分」が「世界」と独立して存在している、と勘違いしていること。
そりゃ寂しくて不安にもなります。こんな世知辛い社会で孤立するだなんて。
世界に孤立した存在というのはありえません。
川と海に境界がないように、あれとこれの分別は後付けされたもの。
毎日を苦しみながら生きてる私たちも、肉体から精神まで、100%世界そのものです。
世界に見捨てられることは不可能です。誰もが同じ条件にいるのだから。
これを実感してる時は、心の底から安心できるはずだから。
古めかしい言い方だとこうなります。
「世界に見捨てられることは不可能」 = 「諸行無常:全ては実体無く移り変わる。」
「名は体を表す」 = 「色即是空:全ての物事に実体はない。」
「体を表すために名をつけた」 = 「空即是色:実体がないから全ての物事になれる。」
あれ?少し違うかも。
まぁ大体は合ってればいいや。
現象に名前を付けただけで、理解した気になるよりはマシです。
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全てPixabay より
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