「情けは人の為ならず」の対象は人だけ?鶴の恩返しってなんなん?

動物との付き合い方
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 情けは人の為(ため)ならず。

 情を人にかけておけば,巡り巡って自分によい報いが来るということ。〔近年,誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕

「大辞林 第3版」(平成18年 三省堂)より

誤解されやすいと有名なこの言葉、

文化庁の解説ページによれば、意味を正しく把握しているのは45%だそうです

 

 

ところで、どうしてこの言葉は、人間にしか使わないのだろう?

忠犬ハチ公とか鶴の恩返しってなんなん?

 

 

動物を尊重する素質を備える日本文化

情けは人の為ならずの意味は、巡り巡って自分によい報いがある、とあるけど、一体何が巡るのでしょうか?

因果?徳?神様の庇護?

 

・・なんとなく、というのが正直な所ではないでしょうか。

日本人に染み渡る、素朴な信仰心が見て取れますね。

 

鶴の恩返しは一般に「何か良いことをすると必ず別の良いことが自分にかえってくるよ」という教訓を交えた話であると考えられがちです。しかし実際は、動物を助ける優しさを持ちながらもたった1つの約束(「決してのぞいてはいけない」という約束)さえ守れない愚かさを合わせ持った人間の、複雑な心理を表しているという説もあります。

日本文化いろは辞典様 より引用

 

これは耳が痛い。

動物を助ける優しさに感動しつつ、動物を殺して食べている現実を直視できない私たち。

昔の人は当たり前に出来ていたのに。

 

機織りを覗かれた鶴へのアドバイス

鶴「布を織っている間は、決して部屋をのぞかないでください。絶対ですよ。」

 

→覗かれちゃった。ダチョウ俱楽部って知ってる?

 

鶴「肉に解体している間は、決して部屋をのぞかないでください。絶対ですよ。」

 

→と言っとけば、覗かれずに済んだのに。

ダチョウ俱楽部だって熱湯が本物なら押しません。

押せるのは信頼してるから。覗くのも信用したかったからこそ?

しかし見て見ぬフリは、、

 

 

鶴の恩返しは感動ポルノか?

「情けは人の為ならず」や「鶴の恩返し」が浸透していることから、日本文化には以下の下地が備わってると言ってよさそうです。

1.徳や因果というものが廻っていて、それを尊重する感覚。

2.弱い存在をイタズラに傷つけない感覚。

 

とどめとして、現代のペットブーム。

ここまで揃っているのに、菜食主義や食文化の見直しを訴えると、冷遇されるってなんなん?

 

誤解のないように言っておきますが、別に肉を食べたっていいんですよ。鶴や猫も食べていい。問題はその食べ方です。

 

 

ここで前述の問いを繰り返します。

「巡り巡って自分によい報い」ってあるけど、一体何が巡るのでしょうか?

 

それに人間にしか巡らないものですか?善人には巡り悪人には巡らない?動物には巡り植物には巡らない?範囲を限定せず、あらゆるものに平等に巡る何かではないんですか?

あと、そもそも「自分」というものを定義できる人がいますか?

 

「自分」も「巡るもの」もよくわからないのに、漠然とそれに従う不思議な日本人。

ここまで揃ってるのになんなん?

 

 

 

絶対に押すなよ!

 

画像提供:かわいいフリー素材集 いらすとや 様

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