映画「肉が焼ける」は「いのちの食べかた」と同時に観れば傑作になる

食文化について
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ずっと公開を楽しみにしてたこの映画、どうやらお蔵入りのようです。

 

 

映画館で見せる程じゃないって判断なのでしょうが、実にもったいなく思います。

見せ方次第で名作に化けるポテンシャルがあるのに。

 

映画「肉が焼ける」とは?

概要を公式サイト(閉鎖されました。2019/8/31追記)より抜粋します。

焼肉は「ドラマ」だ!

焼肉には”こうしなければならない”というルールはない。しかし、それぞれにコダワリはある。 (中略)4K映像&スーパースローによるかつて見たことのない「美味そうな映像」が摂食中枢を激しく刺激する!

 

「狂ってる」「前衛的すぎる」との声も散見されますけど、個人的には期待していました。

いのちの食べかた」が広く評価され、「ザ・コーヴ」がアカデミー賞に選ばれてしまい(!)、反証映画も国際的に注目される混迷の時代において、バカバカしくも一般人が最も共感できる内容だったから。そして世界的に評価された3作では軽い扱いだった、「食べる喜び」の側面を表現しているからです。

 

 

どちらの本能が勝るのか?

この作品が真価を発揮するのは、「いのちの食べかた」や「ザ・コーブ」と同時に観た時だと思います。

 

では実際にやってみましょう。予告編だけでも効果があります。

両方同時に再生ですよ?いいですね?

(過激な描写あり。苦手な方は見ないで下さい。)

 

 

同時に再生して眺めてみましたか?

 

食欲と死を遠ざけたい感覚、どっちの本能が勝りましたか?

どちらも素直な感情で甲乙つけ難かったのではないでしょうか?

 

 

え?狂ってるって?

いいえ。本当に狂ってるのは、これらを切り離してハッピーになっていた現代社会でしょ?

こんなの前衛的でもなんでもない。太古より受け継がれてきた日常茶飯事です。現場慣れした人にとっては眠くなるような話。

 

この映画で人生が変わる人もいたろうに

映像を見ればわかるように、殺生と食事はひとつなぎの現象です。

なのにそれらを分断して捉える人が多いから、おかしな苦しみが生まれてしまうんです。同様に私たち人間と動物もひとつなぎの現象です。つながっていて境目がありません。

 

というか、あらゆる物事はひとつなぎの現象です。独立して成り立つものは、一つたりともない。

 

ここからが物質でここからが生命という線引きは難しい。無理らしい。

なのに殺すことだけ、食べることだけにフォーカスして善悪を決めつけて、社会が良しとする型にはまってホッとしてる。挙句の果てに他人にそれを押し付ける。

もう少しマクロな視点で、生命と言うのものを捉え直してみてはいかがでしょうか。

 

私たち生物は互いに依存しあっていて、決して単独では存在できません。生まれては死に、世界に循環し続ける運命にあります。

それが腑に落ちると色んな苦しみがやわらぎます。

ペットロスとか、お墓の問題とか、食のタブーとか、死刑制度、出生前診断、安楽死の是非とか、、、。

これらは制度の問題ではなく認識の問題だから。

 

 

制度を整えたところで理解がなければ意味はなく、逆に認識さえ浸透すれば制度はなぁなぁでも大半の課題は片付きます。完璧さを諦めることも肝要かと。

なぜなら、あらゆる物事には境界線がない上、全てを知ることも無理なんですから。

私たちはただ世界に循環している。それを完全にコントロールできる誰かはいない。それだけのことなのに。

 

「私たち家畜にお墓はない」

「ペットロスはあっても家畜ロスはない。死刑は当たり前。出生前診断どころか優生学で改良されまくり。・・・でも美味しい。」

 

 

ペインレスミートの技術開発よりも大切なもの

話は変わりますが、今後は培養肉が普及するかもですね。

痛みや死の伴わないクリーンなお肉。あちこちで開発してるみたいだし。

2019/3/25 日経新聞 東大と日清 培養肉作製に成功 本物に近い食感

 

こいつがニュー謎肉として普及するのは結構なんですけど、今の社会認識のまま普及するとしたらヤバいと思います。誤解をクリアした上で次に進まないと、ますます気色悪い社会になっちゃいそうで。

ここは日清さんと要潤さんになんとかしてもらいましょうか。今後も広告戦略に注目ですね。

 

 

 

押されないとお蔵入り

 

アイキャッチ:mohamed HassanによるPixabayからの画像

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