動物虐待についてトップニュースが流れていました。最近増えましたね。
2017/10/4 日刊スポーツ ダレノガレ明美、愛猫が虐待死「一生許せません」
大筋では同感なのですが・・・
【この記事のあらまし】
・動物の虐待は悲しい事件だけれど、ペットだけを問題視するのはなぜか?
・日頃食べているお肉が命だったと忘れているからではないか。
・身内の動物しか守るつもりがないのなら、虐待者と大差ないのかもしれない。
記事を要約すると、
「以前飼っていた愛猫が何者かに虐待され死んでしまった。今でも許せない。
もっと刑罰や取り締まりを厳しくしてほしい。ペットも人間も命は命だから!」
気持ちは超よくわかります。
もし同じ経験をすれば、きっと私は怒りで我を忘れることでしょう。
がしかし、
こうした価値観を持つには、他の動物の現実も考えなければ。命は命だから。
可愛いペットだけを守れば全て解決!だとよりグロテスクな社会になります。
私は以前ペットの犬が死んだ際、しばらく食事が喉を通らなくなりました。
それでも2、3日もすれば、元通りハンバーグを平らげていました。当時の私にとってハンバーグは単なる食べ物だったから。
街中で犬を見る度に、様々な想いが頭をよぎりました。
時折轢かれた猫の死骸を目にして、あの子にも飼い主がいたのだろうか?などと考え、それまでは見るのも嫌だった死骸を道路脇へ避難させたりして。おお慈悲深いオレ様よ。
それでいて、何も意識しないままに愛用の革財布を使っていました。(ブランド物で高かったんです。今でも使っています。)
そしてある時、命に対する自分の態度がメチャクチャだったと気が付きました。その後けじめをつけようと試行錯誤した結果、今こんな記事を書いています。
おそらくm前述の記事に反感を持つ人は少ないでしょう。可愛いペットはもっと大事に扱わないと。守ってあげないと。
その反面、普段食べているお肉については疑問を持つ方はほとんどいないのでは?
ペットを飼っている人より、肉を食べる人のほうが多いのにです。
命は命です。でもそれが見えない。毎日見てるのに。
思うに、動物愛護には彼らを殺して食べることも含まれます。それも一つの愛の在り方です。もっとも単なる人間側の言い分に過ぎませんが。
もしペットの虐待を痛ましく思うなら、その気持ちの1割だけでも、他の生き物にも向けてほしいのです。まずはカワイイ牛なんか丁度いい。彼らとはコンビニや食卓の上で毎日のよう接しています。ふと気がつけば、毎日の生活は死で彩られています。
もし自分の身内やペットだけが幸せであれば、他は知ったこっちゃ無いのなら・・・潔い態度です。
であれば虐待を行う者にとっては、他人のペットなど苦しもうが構わなかった気持ちが、少しは理解できるはず。
どうせごはんを食べるのなら美味しく頂きましょう!
肉でも野菜でも命は命だから。
ペットでも家畜でもね。
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