0葬や散骨が不安なら骨噛みをしよう!あなたがお墓になればいい

時事ネタ
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日本の葬儀文化は大きく変わろうとしています。

直葬と呼ばれる「通夜と告別式を行わず、納棺後すぐに火葬するスタイル」が増えており、0葬や散骨など「火葬後にお墓を設けない弔い」も認知が広がってきました。

 

その一方で、いきなり従来の葬式やお墓文化を捨てることには抵抗がある、という方も多いです。

そのギャップを埋める対策として「骨噛み」のリバイバルを提案したいと思います。

 

お墓が無いと不安なら、あなた自身がお墓になればいい。

 

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増え続ける直葬のニーズ

2019年の直葬の割合は約20%、都市部ではもう少し多いそうです。

お葬式のいろは様 2019/2/4  2019年の直葬(火葬式)の割合は?都市部になるほど増える驚きの割合 より引用

 

日本の葬儀文化から(価値を見出せないタイプの)葬式やお墓が廃れていくのは、もはや時間の問題です。

散骨業者も増え、ついには0葬というスタイルまで提唱されています。

首都圏の火葬場ではまだ対応外らしいのですが、地域によっては既に実行可能のようです。今後も対応可の火葬場は増えていくと思われます。

 

 

残る課題は、従来の葬儀を行わないことによる(文化的、心理的な)不安の除去です。これさえ解決すれば、長年日本人を悩ませた葬儀問題は解決に向かいます。

もちろん遺族のためだけではなく、故人への弔いをないがしろにもせずに、です。

 

この対策として「骨噛み」の復活はドンピシャではまります。

 

 

骨噛みとは何か?

骨噛み(ホネハミ or コツハミ)とは古い弔い文化の一つで、火葬の後に遺骨を少しだけ食べて、亡き故人と一体になろうとする弔いスタイルです。かつては九州を中心によく行われていたようです。

 

しかし、最近その価値が見直されています。面白い作品も出てますよ。→ 母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。

別記事でも解説→ 骨噛みの神聖さを一瞬で理解できる方法。

 

 

つまり遺骨を納める場所を、お墓や自然界ではなく、あなた自身に変えるのです。

骨噛みの儀式をもって、あなたがお墓になればいい。あなたが故人と一つになればいい。

 

 

こうすれば、何があっても引き離すことは不可能です。

あなたは故人の家族であり、親族であり、友人であり、生きた証であり、お墓そのものです。

 

墓参りや供養とは即ち、あなたがしっかり生きることです。あなたの想いこそが本質です。

 

 

・・これらは骨噛みをしなくても(実は最初から)達成できます。しかし、

「お墓や葬儀にこだわりたいけど、費用面で実現できない。」とか、「いきなりお墓や葬儀を全廃するのは抵抗がある。」

と感じる方には良い解決策ではないでしょうか。簡単だし無料です。

 

 

骨噛みのオススメ理由を詳しく説明

1.お経を体現する行為であり、葬儀を全廃する不安を緩和できる。

2.散骨の場所や方法で揉めるリスクが少ない。費用も0円で簡単。

3.自分自身がお墓になることを通じて、お墓への執着が自然と消える。

4.死の身近さが理解できる。

 

ひとつずつ説明していきます。

 

 

お経を体現する行為であり、葬儀を全廃する不安を緩和できる

最もポピュラーなお経である般若心経の内容は、超訳すればこんな感じです。

 

「全ては実体が無いから流れ去っていくよ。私もあなたもみんなそう。 でも消える訳じゃなくて形を変えるだけだ。 私達はこれまでもこれからも、ずっと一つなのだから。 苦しみの殆どは思い込みだから、早く手放してしまおう。 いい気分になれるよ。」

 

お葬式のお経は、こんな話を足が痺れるまで続けていたのです。他にもたくさんのお経があるのですが、中身は結構似ています。

※詳しくは、ちゃんとした僧侶さんの解説をご覧ください。

禅の視点life様より 『般若心経』を現代語訳するとこうなる – 存在が存在することの意味を説くお経 –

 

 

リンク先でも言及されていますが、

「お経の話は言葉では理解不能であり、体得するしかない。」

というのは鉄則です。つまりわかった気になるなと。実際、本当の意味で理解するのは不可能に近い話ですからね。

 

 

だからこそ実践を。つまり骨噛みを。

 

説明を受けるより、食っちまったほうが理解の助けになります。

その経験は必ず後で生きてきます。少なくとも、意味不明なお経を聞き続け、何が何だかわからないまま葬式が終わるよりマシでしょう。

故人の霊に伝えるにしたって、故人は漢文を理解できるのでしょうか。死ねば即、言葉ではなく意念が通じるようになるとでも?

 

従来の葬儀より、はるかに仏教的意義のある葬式になります。

 

 

散骨場所で揉めるリスクがない。費用も0円

散骨経験者の意見として何かで拝見したのですが、

「故人は東京湾への散骨を希望していたのに、瀬戸内海に撒くことになった。少し心残りがあるけれど、全ての海は繋がってるからいいのかなと、、。」

 

 

仰る通りです。

東京湾と相模湾に明確な境界線などありません。同じように、私とあなたに明確な境界線はありません。

 

海に限らず、全ての存在は繋がっています。境目は心の中にだけ存在します。

遺骨をどこに撒こうが同じことです。結局は世界を平等に循環するだけ。

 

 

山や海に散骨に行ったり、ロケットに積んで宇宙にばら撒くのも良いですけれど、散骨場所は遺族の体内が最適ではないでしょうか。誰の迷惑にもなりません。

そこは故人に最も近い場所であり、同時に全てとつながった場所です。

 

自分自身がお墓になれば、お墓への執着が自然と消える

お墓の役割とは一体何でしょうか?

故人に思いを馳せるアンテナ?霊魂の住処?親族が集まるためのランドマーク?

宗教観はそれぞれとしても、遺族たちがお墓そのものになってしまえば、全て解決するのではないでしょうか?

 

それに、ご先祖様の定義とはなんでしょうか?

直系尊族だけ?分家したら無関係?血縁がないと無関係?ペットは家族にはなれない?

 

 

くどいようですが、全ては繋がっています。

人間のご先祖がいなければ私たちは存在しないように、全ての単細胞生物も動植物も、菌類もウイルスも、無機物である地球や太陽も、全ての存在がご先祖であり親族です。

全てが互いに影響しあうことで成り立っています。独立して存在できるものは一つもありません。

 

供養の本質は、それらを思い出すことです。儀礼や墓石ではありません。

 

 

死の身近さが理解できる

 

「近年の日本では、葬式だけが死を実感できる場所になった。」

とよく言われますが、これは恐ろしいほどの間違いです。

骨噛みをすれば思い出せるはずです。

 

なぜなら毎日の美味しい食事は、まぎれもなく死体だからです。

動植物の死体だから。そんな事も忘れてしまっているから。

 

 

骨噛みは特別な行為ではありません。当たり前すぎて気づかなかっただけの、日常的な行為です。

動植物たちの供養やお墓はどうなっているか、考えたことはありますか?もし考えもなく食い散らかしていたとしたら、動植物たちは成仏しなくなると思いますか?

 

 

何度でもいいますが、全ては繋がっています。

骨噛みで故人を追悼した人も、そのうち死んで骨噛みされる立場にまわります。全ての生物はその繰り返しです。

この事実を思い出すには、既存の葬式より骨噛みが向いてるかもしれません。文字通り腑に落とすからです。

 

 

葬式仏教を打破しよう

いかがでしょうか。

「お墓を工面して、立派な葬式をしないと故人に失礼では?」

という不安が少しは払拭されそうでしょうか。

 

念のために断わっておきますが、私は葬儀現場に詳しいわけではなく、これらはまだ仮説です。もしお気づきの点があれば、忌憚のないご意見を頂けると嬉しいです。

 

 

ちなみに、海の向こうでは0葬よりも徹底した葬儀スタイルが生まれつつあります。

CNN 2019/4/21  人間の遺体の堆肥化認める、法案が通過 米ワシントン州

日本でも葬儀文化をアップグレードしましょうよ。こうした外国の文化に飲み込まれるのは時間の問題です。

 

全てはよりより弔い文化の為に。

 

 

 

心配ないさー♪葬儀あしたのことはー♪

 

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