骨噛みってご存知でしょうか?
火葬の後に遺骨を少しだけ食べて、亡き故人と一体になるという情熱的な弔いスタイルです。最近の若者は知らないだろう?ってニュースになってます。
2018/2/11 LBB TODAY 料理愛好家の平野レミ、亡き父の骨を食べる!
初めて知った方はビックリしますよね。
古い風習とはいえ、人間の骨を食べるの?ウゲー!
しかし、この風習は愛情から生まれたものです。
そして深い知恵が隠された営みでもあるのです。
そして骨噛みの神聖さを一瞬で理解できる方法、、、それは握りっ屁です。
・・決して冗談ではありません。
この時点でピンときていない方は、仏教における弔いの意義をまだ体得していない証拠です。
どういうことか説明させて頂きます。
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骨噛みは神聖な風習である
骨噛みの起源は諸説あります。
とある葬儀の際、遺族の一人が「故人と別れるのは寂しいから、せめて自分のうちに取り込みたい!」と思って衝動的に骨を舐めてしまい、それが後に一般化した、というのが有力な説です。つまり愛情故に食べるのです。
食べるために殺すのではなく、きちんと殺すために(弔うために)食べるのです。
この行為が気高いと受け止められたからこそ、骨噛みは文化として受け継がれてきました。
死体を食べると聞くとゾッとするかもしれませんが、動機が美しいと印象も違うものですね。
実は誰もが日常的にやっている
でもよく考えてみたら、動物の骨なら毎日のように食べてますよね?
魚の骨とか豚骨スープとか、おいしくて栄養満点ですよね?
だから人間の骨だからって騒ぐことはない筈です。わざと殺して食べたワケでもないのだし。
このように、私たちは何を食べるかよりも、どう食べるかに強く影響されています。
それは投影された想いであって、実体とは関係がありません。
遺骨を食べたって故人にはなれませんし、魚を食べても人魚にはなりません。
それでいいんです。全ては気持ちの問題だから。
そもそもの話、故人とあなたを隔てるものなどありません。
骨噛みをしてみれば嫌でもわかります。
食べてしまえば、故人とあなたの距離はゼロになります。
どっちがどっちだが、もはやわかりません。
実はこのメカニズムは、骨噛みをする前からとっくに機能していました。
故人が生きていた頃から、いや故人が生まれる前からずっと、機能していました。
どういうことか?というと・・
骨噛みが示唆する深淵なる気づき
「生物はどの時点で生まれ、何をもって死んだと見なすのか?」
誰もが納得する定義は、科学的にも宗教的にも未だ出ていません。
現実的な話をすれば、脳死や中絶の問題が厄介なのはそれが原因です。
なお日本の葬儀を司る仏教的な観点では、そもそも私とあなたを隔てるものなどなく、死というものは事実というより解釈に近い、と考えられています。
全ては諸行無常、実体なく流転し続けるのですから。
だから、
骨噛みをキモチワルイと感じても、鶏の骨からとったスープを美味しいと感じても、どっちだってOK!すべては解釈の違いに過ぎません。
なんだってOKです。
ちなみに骨噛みは、簡素化が進む日本の葬儀文化にピッタリだと思います。
長い儀式をシンプルにしつつ、その意義をより鮮明にできます。
当記事で主張した骨噛みの意義は、実はお経の内容と酷似しています。お経を我慢して聞くより、骨噛みをしたほうがダイレクトに理解できるでしょう?
→ 別記事 0葬や散骨が不安なら骨噛みがオススメ!あなたがお墓になればいい。
ここからが本題です。
骨噛みの魅力をあっという間に体得する方法を、くわしくご紹介させて頂きます。
骨噛みの神聖さを一瞬で理解できる方法
筆者は平野レミさんのハイテンションな料理番組が大好きです。
息子さんの曲もカラオケで歌うし、その奥さまが歌うおなら体操も好きでした。
久々におなら体操を見ていたら、ふと催してきたので、逆らわずに「ブッ!」と放屁したところ・・
その瞬間、私に天啓が訪れました。
おならって食べたものを消化する過程で生まれたガスですよね?
ってことは食べたもののご遺体だ!
気体バージョンのご遺灰だ!フレグランスつきの!
つまり、
おならを嗅ぐこととご遺灰を食べる骨噛みは、本質的に同じ行為だったのです。
なんということでしょう。握りっぺは神聖な行為だったとは。
これは屁理屈ではなく科学的事実です。むしろ遺骨を崇めたり、おならを蔑む態度のほうが迷信的ではないでしょうか?実体としては同じものなのですから。
ここで遺言を残します。
1.私の火葬の後には遺灰を食べた後に、参列者全員で握りっぺ合戦をすること。
告別式の前にはイモでも食べて万全の状態で臨むこと。恥ずかしがって逃げた場合は故人への冒涜とみなされ、呪われる可能性があると覚悟すること。
2.万が一、告別式のお経が退屈だった場合、お坊さんに背後から忍び寄り、握りっぺをお包みし耳元で囁くこと。
「仏教で言う” 空 ”とはこれのことですか?」
3.もしその時のリアクションに納得できなければ、全員で効果音を鳴らすこと。ブブー!
以上です。頼みました。
クドいようですが、筆者はふざけてなどいません。
現状の惰性丸出しの葬儀より、まだマシになることは保証できます。
あなただけの遺骨なんて存在しない
成人の骨細胞は約3年で全てが入れ替わるそうです。
今この瞬間も、私たちの骨たちはスクラップアンドビルドを続けており、その骨は食べたものの栄養から合成されています。それは今朝飲んだ牛乳からできているかもしれません。
私たちの右腕の骨は、以前は別の誰かの骨でした。
左腕の骨は以前はクジラの骨だったのかも、その前は極悪人の骨だったかも、あるいは聖人の骨だったのかも。
つまるところ骨(カルシウム)はリサイクル資源であって、誰かの専有物ではありません。
誰にも独占はできません。
だから「誰々の遺骨」なんてのも概念に過ぎません。
そんなの一時的な状態だからです。生命は循環し続け、不変の実体などないからです。
生命とは、ある時は愛する人の骨であり、ある時は憎いアイツの骨であり、ある時はさっきしたオナラだったりするものです。
それは同じ存在に対して、別の解釈を与えただけに過ぎません。
仏教のコアメッセージは、実はそこにあります。
意味不明な葬儀やお経よりも、骨噛みをした方が理解しやすかったりして。
すかさないで
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